NPO法人代表の"未来は僕らの手の中"

"音楽×福祉"NPO法人の代表が日々のあれこれを日記みたいにゆるーく書いていくブログです。

ひらきっぱなし

とあるイベント用の曲の編集作業に夢中で、ブログのアップが遅くなりました💦

今回は、事業所のある意味"核"でもある空間について書こうかなぁと。

 

【目次】

 

好きを詰め込んだ場所

ついに貸事務所に入居です。

人もモノもない部屋は広く感じます。

ここから築城していくんですが、私の中では当初から環境面で"こうしたい"ってのがありました。まぁ、強いて言えば、いかに自分の好きを詰め込んでみるかとゆー感じですかね。

それに、もともと「ああ、福祉っぽいよね」みたいなイメージを持たれるというか、「まぁ、こんなもんでしょ」「◯◯ってこうだよね」ってのが、思うのも思われるのも嫌いで。

なので、それに対して自分の好きなものがどこまで通用するかが個人的なテーマでもありました。

何でもそうですが、世の中も人ももっと多角的で多様的なはずなのに、人が持つ先入観ってのがいかに視野を狭めるか、可能性に蓋をしてしまっているか、そしてそれを当たり前のように感じてしまう人が多いなぁと。

特に昨今のように情報が溢れてる時代、見もしないで、知りもしないで勝手に決めつけられることって多いと思います。

福祉も同じで、まだまだそのイメージがあるような…。福祉という村の福祉という住人は福祉でしかないという思い込みみたいなやつ。

それを世間様も、仕事してる自分らも、そして福祉サービスを利用する人達ですら持ってしまってるところがあるんじゃなかろうかと。

福祉そのものの概念や、形成されるイロイロがそうですから致し方ないとこもあるかもしれませんね。

私はこの仕事に就いて17年くらいになります。全てとは言いませんが、正直、今も昔もさほど変わらないという印象。

この時代において、ある意味でそれは安心なことなのかもしれませんが…。

いつまでも同じようなとこをグルグル回ってるのもちょっと違うんじゃないかなとも思います。じゃあ、福祉の発展て⁉️と聞かれると今はまだハッキリとは答えられないんですけど(^^)世の中的な面から見ると、福祉の発展=自分らの仕事が仕事としてなくなることなんやろなあとは思います。もっと誰にとっても当たり前に暮らしやすい世の中になれば、当然今の形の"福祉という仕事"は必要なくなりますもんね。

てことは、やはり福祉の価値観とか概念だけでやっていくのはマズい気もしますね。

そんなこんなもありまして、視野を広く持っていきたいなと。それで自分の価値観とかをどんどん崩していきたいなと。

とゆーことで、まずは、いかにして作業所っぽさを崩していくか考えながらやり始めるのです。(→自己満足⁉️)

私はバーッと雰囲気のイメージを考えたり、絵に書いたりするのは好きですが、作ったりするのは超苦手です。

小学校の夏休みの工作は毎年いい加減…。

コンセプトは"お金をかけずにカッコよく"

 

それを実現するためには、やはり餅は餅屋。

そういう作るのが好きで電気工事もできる友人がたまたま時間作れたので、しばらくいろいろ手伝ってもらいました。

だいたい私の好みとか、フワッとしたイメージをしっかり拾ってくれるやつなので、基本、細かいことはお任せです♪

そう‼️

かつて、私の事業立ち上げに反対してくれた彼です(^^)

カフェのような、服屋さんのような、雑貨屋さんのような、アトリエのような路地裏の秘密基地な感じがいい

というのが私の中の事業所の絵でした。

そして絶対に黒板をつけたかったんです(^^)

他のことや、使い勝手とかより雰囲気重視、まずは見た目も大事です。

働く場所って、考え方はさまざまですが、私の場合はまず自分自身が"こんなとこに行ってみたい"と思えるような、ワクワクするような場所じゃないと行く気にならないし、好きになれないだろうなってのがあったので。

2人で、一つ何かはできては

「おぉ〜っ👏」といちいち感動しながら毎日遊んでましたねぇ。

その時は、事業所を作ってるというよりは店を作ってる気になってました。

私が神戸あたりに机やら何やらを買いに行く、その間にツレが工事をするという。

毎日少しずつただの倉庫がいい感じに仕上がっていく。真冬でしたが夏休みの遊びみたいな感覚。毎日楽しかったですねー✨

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まずは電球一個から(^^)

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ちょっと雰囲気出てきました

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黒板もコンパネ買って塗料を(塗ってもらいました)
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さっそく落書きし始めます
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こーゆーのにはこだわってしまいます

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好みの空間に仕上がってきました

 

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2Fはちょっとキレイめ⁉️

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初期のイメージはこんな感じで♪

 

気になる場所

1Fと2Fはカラーを変えたかったですね。

私は服屋さんが好きなのですが、基本新しいのも古着も好きです。最近は減りましたが、デッドストックの生地を使ったやつなんか、もう大好物です❕

それはさておき、1Fが古着とかアメカジっぽい感じのイメージで、2Fはフレンチカジュアルとゆーか、ちょっとキレイめのイメージ(^^)

統一感というのは嫌いではないんですが、せっかく部屋が2つあるなら、パターン変えたら気分も変わるやろなぁと。

神戸とかでよく行ってたのですが、雑居ビルで階段を挟んで違う雰囲気の服屋さんがあるのすっごい好きなんですよね。

なんてゆーか、その階段がワクワクの架け橋みたいな感じがして。

まぁ、元々の建物の日当たりの関係もありますのでそこは自然に逆らわず(笑)。

服屋さんって商品のコンセプトやブランドのイメージ、ターゲットにしてる客層によって違いますし、特に個人でやっている人のお店は趣味趣向やこだわりが現れますよね。

もう店全部が芸術というか。

ある意味そのためにはやっぱり自分でするのがいいなぁ〜と。

絵でも音楽でもそうですが、芸術って作り手の人間性や価値観、生きてきた軌跡とかが作品に滲み出るものだと思いますので、ドバーッとやって「はい、こんなんです。どうですか?」

みたいな感じかなと。

だから、取り繕ったようなハコだったら、そのうちウソがばれちゃうかなぁと。

好きなようにやって結果がついてこなくても納得はできますしね。

もちろん福祉でもそうだと思います。

福祉やってる人はたくさんいるけど、皆さん一人ひとり違う人間なので、当然その人のカラーは出ますよ。それが理念であったり、方向性であって。その中から選ぶのは相手さんですから気に入った場所に行くのがいいですね。

だから、いろんな事業所があったほうがおもしろいと思います。

こんな遊び半分のような感覚の場所もあっていいはず(笑)

ある程度は「こんな感じ」ってのはあっても、結局そこを作り上げていくのは、スタッフであり、利用する人だと思いますね。

だから、常に未完成くらいでいいと思います。サグラダファミリアのような。

とりあえず10人に1人くらいは気に入ってくれるだろうと。そしたら、単純に考えて100人の人に見てもらって10人が興味を持ってくれるかもしれない。

とにかく、就労を目指す一歩目にあたる事業所ですから、大事なのは「行ってみようかな」って思ってもらえることかな。

きっかけはなんでもいいと思います。

作業の内容、工賃、スタッフさんの雰囲気、そして空間。

私には私なりのカラーで提案します♪

あ、もちろん制度上の規程は守った上で(^^)

ただ、事業として成り立つためには、そうばかりも言ってられません(^^)

ということで、次はいろいろと挨拶に回って行くわけです✨

 

はじめから全開で 行けるとこまで

はじめから全開で 待つこともなし

はじめから全開で クツがぬげても

はじめから全開で とまる気もなし

 

何事もただ いきなりだから

目がさめたらもう ひらきっぱなし

 

はじめから全開で 行けるとこまで

はじめから全開で 待つこともなし

はじめから全開で 部屋をぬけだし

はじめから全開で 虹の彼方へ

 

やけどしちゃうぜ? 火の玉BABY

お前さん誰だい? ひらきっぱなし

 

サグラダファミリアは 今ちょうど完成

  (ひらきっぱなし/ザ・クロマニヨンズ)

 

今回もありがとうございました😊

 

 

 

ナンバーワン野郎

法人設立の準備についての手続きは、紹介していただいた社労士さんにご協力をお願いし、ちょいちょい打ち合わせしながら準備していきました。

 

【目次】

 

情報集め

そして、いよいよ場所を絞っていきます。

当初は、加西市で検討もしていましたが、よくよく考えたら、作業を提供してもらう弟の会社は明石市

なるほど…

すでに出来てた人脈、数年間で知り得た地域の情報、事情を優先するなら加西かなと思いましたが、いかんせん就労継続支援B型事業所ですから作業がしっかりあるというのはかなり重要です。もし加西市で事業所をするのであれば、そのあたりから開拓する必要がありましたので、そうなると明石かな…。でも明石は人脈ゼロやな。

ちょっとの間、考えました。自分にとって、どっちが先にあるほうが事がスムーズに運ぶのだろう?

新しい人脈は自分のがんばり次第で作っていけるもの。それよりも、このご時世に作業を確保できる提携先を見つける方が困難なはず。

そっちの方が優先事項やなと決めます。物理的に事業所のエリアは明石市内にしようと。

さらに、弟の会社の位置から見て車で片道30分以内の距離がベストだなということで、まずは二見町、魚住町、大久保町に限定します。

もし良い物件がなければ加古川市の東部、播磨町も視野に入れようかなと。

しかし、私は"明石市"という地域のことは全くと言っていいほど知りません。中高生の頃に大久保駅のビブレに遊びに行く程度。

どちらかというと神戸への通過点(明石市の方すいません💦)くらいにしか思ってませんでした。働いたこともないので福祉業界の状況も分からないし知人がいるはずもなく。

だからでしょうか、逆に「どんな町なんやろ?」という興味もありました。

かと言って、遊びではないのでこの地で事業所を開設するのがどうなのか?果たして必要とされるのか⁉️

まずは明石市内のどのあたりにどれくらいの事業所があるのかWAMNETという福祉、保健、医療の総合情報サイトで事業所情報を検索しマップを作ることにしました。

 

どこぞの馬の骨

情報収集をするため、県の障害福祉課へ。

なぜ県かというと、単純に事業所が事業実施するには都道府県の許可いわゆる"指定'がいるので大元になるのは県庁やからとにかくそこに行こう!と。

取引先となる弟と共に意気揚々と県庁の障害福祉課に…。

しかし、大きな声で挨拶しても返答はなし。見向きもしない人がほとんど…。中で働いていた皆さんの視線の厳しいこと…。

仕方なさそうに一人の方が「どういったご用件ですか?」と聞いてくれました。

明石市で就労継続支援B型事業所をやりたいのですが、どのような手続きがいるのか教えていただこうと思いまして」と言うと、部屋の隅のダンボールとか椅子の保管スペースみたいな所へ案内されます。まあ、招かざる客ですから。「なるほど」と。

10分ほど待つと一人の職員さんが来てくれ、

ここはそういった質問や問い合わせの場所であここに来られても…。明石市役所で聞いてもらえますか?」と返されました。

確かにそうやんなぁと。

きっと、こーゆー予備知識なしで質問してくる人も多いのかな。まともに相手にする時間ないくらい忙しいだろうし、怪しまれた(笑)のかもしれませんが、役割こそ違えど同じ福祉のことを考えてる方達がこの対応かぁ〜と…。

まぁ、ちょっと残念な感じでした。

で後日、市役所の障害福祉課へ出向きます。

「はぁ…就Bですか。」と最初は警戒されながら言われましたが、物腰柔らかい感じで情報くれました(^^)今回は私も聞きたいことをポイントまとめていきましたし、多少の予備知識も頭に叩き込んでいきましたし(笑)

そう考えると、県庁に行った時はこちらこそちょっと失礼だったなぁと反省💦

で、事業所さんのリストをいただくのですか、ズラ〜ッとかなりの数が…。

そう、明石市は聞いていたとおり、かなりの激戦区だったのです。

「かなり事業所数があるので今から作られても…需要があるかと言われると飽和状態かもしれませんねぇ。今から新規参入はオススメではないですね。」とアドバイスいただきました。

そこでのし上がるとゆーか、やっていくのはなかなか至難の業やなとその時は感じました。

歴史ある事業所さんも多いし、どんどん新しい事業所も出来てきてて…。

そりゃ、「またB型事業所ですか」と思いますよね〜。

私も一瞬、「今更作ってもあかんのかなぁ?」って思いました。

でも、待てよ…??

これだけ事業所があって、それに対する利用者さんの数はどうなんや?どこもが定員いっぱいとは限らない。つまり、それだけ利用者さんのニーズが多様なんじゃないかと。

戦国時代の群雄割拠じゃないけど、多様性という意味では、他の事業所さんとは違うアイデア、雰囲気で勝負してみたら、自分らにもチャンスはあるはずや!と。それにいろんな事業所さんがある中でする方が、より刺激になるし勉強になるに違いないと思います。

可能性はゼロじゃないんですね✨むしろゼロやからこそ無限に広がってるのかもしれません。そう考えると、名実ともにゼロから始めるというワクワクした感じが、こう沸沸と(^^)

どこの馬の骨とも分からない者が、どこまでできるか、もうやるしかないなと(笑)

目指せダークホースみたいな意気込みになって自分の中では、もうこの地でやってやることが決まりました。

 

資金調達

となると、次は物件探しなんですか…

まぁ、手元にはないわけです、お金が(^^)

自己資金など、まぁ、なく💧

なければ、借り入れをしなければいけないわけですが、全くそーゆー知識もありません。会社をやっている弟に話を聞き、日本政策金融公庫なら創業支援の融資を低金利で受けれると聞き、担当者を紹介してもらいます。

しかし、個人で借り入れではないので手続き中のNPO法人認証を待ちます。

そして、ついに法人設立。満を辞して公庫さんに相談に。ちょうどNPOの創業支援の案内を聞き、それに必要な各種書類を揃えていくと同時に、法人の口座を開設しないといけません。

しかし、出来たてホヤホヤの法人です。大手銀行さんや、郵便局は相手にされず。これまた紹介してもらった地域の信用金庫さんとお話。

NPOとは取引実績がないからということで、個人のようにすぐには開設できず、あれやこれやと調べられ、話を重ねなんとか口座開設に至ります。

そして融資の審査も通過しいよいよ借り入れ。しかし、実際にお金を借りたこの瞬間が、一番怖かったですね。「これ、ホンマに返済していけるんやろな…」とびびってしまいました。

変な話、借りた日からもう返済がスタートするわけですからね、元金と利息。何もしなければ、何も得なければ減る一方ですよ。

しかし、同時に「もう後戻りはできないな、やるしかないな」と腹をくくることにも(^^)

そして、物件もいろいろ回った挙句、第一印象で自分にインスピレーションがきた場所を借りることになるのです。

この時点で所持していたのは、貰いもののパソコン一台と、法人のハンコだけでした(^^)

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この淡いピンクがちょっと引っかかりましたが今となってはコレはコレで(^^)

 

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近くの金ヶ崎神社より

 

イェー!イェー!イェー!イェー!

 

やることは分かってる

立ち上がる立ち上がる

いつまでもどこまでも

立ち上がる立ち上がる

ナンバーワン野郎!ナンバーワン野郎!

いなせなまっしぐらナンバーワン野郎!

 

外よりも寒い部屋

立ち上がる立ち上がる

外に出る寒い雨

立ち上がる立ち上がる

 

ナンバーワン野郎!ナンバーワン野郎!

いなせなまっしぐらナンバーワン野郎!

 

イェー!イェー!イェー!イェー!

 

ナンバーワン、ナンバーワン

ナンバーワン、ナンバーワン

ナンバーワン、ナンバーワン

ワン、ワン、ワン、ワン

 

やることは分かってる

立ち上がる立ち上がる

いつまでもどこまでも

立ち上がる立ち上がる

 

ナンバーワン野郎!ナンバーワン野郎!

いなせなまっしぐらナンバーワン野郎!

 

(ナンバーワン野郎/ザ・クロマニヨンズ)

 

今回もありがとうございました😊

突撃ロック

事業所名は決まりました。やりたい方向性もほぼ決まりました。しかし、これから"個人"ではなく、"法人"として動いていくことになるのですが、いかんせんズブの素人ですから、まずは法人になるまでのことを一つずつクリアしていく必要がありました。

 

【目次】

 

 

 

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"NPO=ボランティア"というイメージ

"NPOはボランティア"というイメージを持たれてる人もあるかもしれません。たしかに、「慈善事業」的なイメージは僕もありました。

なので、最初は「え?NPOって、事業活動していいん?ボランティアじゃないの?」

と思ってました(^^)

 

その名のとおり

NPOとはNon Profit Organizationの略です。

Non Profit=非営利

Organization=組織、団体

営利を目的としない市民の活動がそもそものNPOです。そしてNPO法人とは、NPO法という法律において要件を満たした人の集まりのことで、都道府県に認証されて設立した組織。誰でも彼でも勝手に名乗ることはできません✨

もともとは阪神淡路大震災のときのボランティア活動がスタートなんですが、ご興味のある方はまた調べてみて下さいね。

NPO法人として運営できる事業は20種あって、その活動が不特定かつ多数の人の利益に増進するものとあります。

広く社会的に利益がある活動…健康・福祉、まちづくり、観光、文化、教育、まぁ色々とあります。障害福祉もこれにあてはまるんですね。

しかし、"非営利=お金をもらってはいけない"というのではないんです。

要は活動で得た利益を分配しないって意味。利益はあくまで活動にしか使えないわけですね。ん?活動にかかるお金って…??

めっちゃ簡単に説明します。

いわゆる"組織"として継続して活動するには、人がいる、場所がいる、活動に必要な道具であったりと何にもなしの身体一つでは何もできるわけないですよね。

人件費、事務所などの家賃、交通費、光熱費など、いわゆる経費というものは、当たり前ですが発生します。ですから、当然スタッフのお給料も発生しても何ら問題なし。で、そのためには法人として資金の調達が必要です。

事業に必要な資金は法人として調達するのですが、それがいろんな寄付であったり、補助金であったり、助成金であったり。

高齢、障がいなど福祉サービスの場合もサービス提供に関するお金は公からいただいてる部分があるので、ザックリ言うと補助金(でいいかな??)になりますね。

…とは言いましても、限界なく稼ぐというのはまた話が別ですが、難しくなるのでこれくらいにしときます(^^)

 で、まぁNPO法人を作るためには、まず人がいります。何よりも自分を含めた5人の理事(監事)と、その5人を含めた10人の社員を集めなければいけません。

と言っても、実際に一緒に業務をするのではなく、「法人のやることに賛同しますよ〜」という協力者?関係者?…分かりにくいので、ファンということにしときましょうか(^^)

私はそう捉えてます。もちろん実務的な面で関わる場合もあるけど。とにかく10人のファンを獲得するべく走り回ります。

 

最初から話を知ってて、理解してくれてた職場の同僚、元同僚からはOKをいただきます。そして、昔から私の事をよく知るヤツ(福祉の道を教えてくれたヤツ)にも相談します。

 

考えが甘い

けっこう勢いで話をしました。自分の中では、もうやることがハッキリしていたので、漠然とした「できる。賛同してくれるやつもいる。」という、ちょっと慢心なところがあったのかもしれません。当然こいつもきっと賛同してくれるだろうという感じで話します。

「うんうん」と聞いてくれていましたが、突如切り替えされます。

やりたいって気持ちは分かった。今の感じから自分の中ではハッキリしてるんやろし、もう絶対やるつもりでおるんやろうけど。お前、それは絶対成功できるって言えるんか?まだ始ってないからぼやけたイメージなんは仕方ないんかもしれんけど、具体的なものが見えへん。お金はどうすんの?自分の生活は?どうなったら成功で、どうなったら身を引くとかって分かってるん?やろうとしてることの需要はどれくらいあんの?なんのコネもないままに勝算はどれくらいあんねん。自分でやっていくって意味ほんまに分かって言ってる?オレには勢いだけで軽く聞こえる。」と…。

言葉が詰まりましたね。急ブレーキをかけられたというかね。逆に言えば成功することしか考えてなかった自分がいました。彼は続けます。

あのな、遊び半分でやるつもりちゃうやろな。バンドとは訳が違うやろ。お前のわくわくした感覚って間違いはないと思うんやけどそれじゃ足りひんわ。一番身近なツレを説得できんようなヤツが世の中説得できるわけないやろ。そんな甘い考えのままでやって成功できると思ってんのか??オレはツレとして、ツレやからこそ言う。他のヤツらからしたら、やって失敗しても残念やったなで終わるかもしれんけどな、そうじゃない。人生かかっとんやろ。そんな生半可なまま始めて事業失敗しとるヤツなんかなんぼでもおるわけや。オレはそんなんは絶対に嫌やからな。だから今のままでは悪いけど協力するつもりはない。

めっちゃ言われました…めっちゃ言ってくれました…。

勢いよく出向いて、凹んで帰るという…。

たしかに、どこかで「自分で始める!!」ってことに浮かれてた部分があったのも事実で、夢見心地なだけだったことにも気づきました。

きっと、見透かされてたんですね、彼には。

「そうか、やっぱり難しいんやろか…」という思いが頭をよぎったのは事実。ましてや、同じ福祉といえどやったことがないことをしようとしている…。

急に足もとがすくんでいたのもまた事実。

”失敗”という文字が全身にのしかかってきた感覚ありました。そうなると、自分のみならず家族、友人、関係者に迷惑かけてしまう。

しばらく考えました。

要は覚悟が足りていなかったんです。

実際、やる気は出しつつもその当時の仕事(ケアマネ)にまだ見切りをつけてもいなかったし、むしろめちゃめちゃ忙しかったので新事業のほうは口だけで、進んでるようで進んでいないという事実…。そらそんな気持ちではできるはずもないし、説得にも何にもなるわけがありませんよね。

しかし、その時間のおかげでいろんな側面、今まで見ていなかったことを見ようとするようになりましたね。それで諦めるくらいならしないほうがいいってのも分かりましたし、もっと本気出せと言われているような気持ちになりました。そして、あらためて自分でやりたい、やってやるというエンジンかかりました。

 

それから、いろいろ調べたり、話聞いたり、動きが出てきました。

まず、時間を捻出するために今の仕事を辞めることを決めます。

ちょうど、春先のこと…。

自分でやりたいことがハッキリしたので、7月いっぱいで辞めます。

施設のトップに申し出ます。これまでの辞めてきた人を思い出すと簡単にはやめれないかもしれないなぁと思っていましたが、予想外に「最初から言ってたもんね。そうか、ついにか。がんばってね。」とすんなり受け入れてもらいました(実際は後任が決まらず8月いっぱいまででしたが)。

 

マーチングバンド

その友人との話以降、考えていたこと。就労支援の事業というものについては決まってはいましたが、どういう法人でやっていきたいのか。いわゆる設立の趣旨ってやつ。

世の中いろんな人がいて、私の活動にも賛同してくれる人、反対というか叱咤をくれる人もいる、本当にイロイロなんですよね。

前回の記事でも書きましたが”仕事を通していろんなつながりの場”を作りたいってのが一番頭にあるのですが、まずは一人ひとりを大事にしたいなって思ってました。

みんな一人ひとり名前も違うし顔も違うし、性格、好きなもの、生まれ育った環境も違う。それらのバックボーンが今のその人を作ってる。

で、そんな人がつながるもの…。

自分の中でパッと浮かんだのは音楽。言語も人種も年齢も性別もいろんなものを越えたところにあるものって私にとっては音楽だったんです。

「あ、やっぱり全てのキーはこれや」と。

バンドの良さって、ギター、ベース、ドラム、ボーカルといろんなパートがあって全部味というか良さが違うよなってのがヒントになります。

それがもっと広がるとどうなるか…。

そうか、一人ひとりって楽器やなと。

そして、その楽器ってのはそれぞれにしか出せない音(メロディー)があるよな。それはそれで素晴らしいんやけど、その音が重なり合ったら(ハーモニー)もっと重厚で魅力的なものになる。オーケストラってそうですよね、あれだけの楽器で一つの音楽を奏でるんですからね。

そこに楽しさとかわくわくした感じを出したい、もっとたくさんの人を巻き込みたいなって考えると、その場所でしか味わえない、会場に来た人にしか感動が伝わらないオーケストラとかバンドは少し違うのかな??

ついでに言えば人とか人生って止まってるんじゃなくて進み続けるもので…。

たまたまその時に家で流れていたアニメでマーチングバンドの演奏が流れて

「あ、これや」

マーチングバンドの演奏しながら進むってのがピッタリきたんですよね。

その場所じゃなくても、どこかでつながる感じ。

「おっ、やってるねぇ。行ってみようかな。」みたいなね。

ハーメルンの笛吹きはちょっと違うかもしれないんですけど(笑)、わくわくする場所に行ってみたくなるそんな団体がいいねと。

そして法人名を「マーチング」にしてみました。

そして、例のツレに話に行きます。でも、今は役員にお願いするのはやめておくと、こっちから話します。

そうか、分かった。ハッキリしたんやったらやるべきや。でも、オレは何かあった時に外からサポートする。こけた時に何とかできるように見守る。あとは、これからも言い続けるわ。ちょっとうっとうしいことを言うヤツも必要やからな(笑)」と。

ありがたいですよ、こっからいっぱい協力してもらう日が来るんですけどね(^^)

あとの役員、社員は、協力を得て何とかなりました。

 

晴れて「特定非営利活動法人マーチング」として一歩を踏み出すのです。

 

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永遠です

永遠です

永遠です

突撃ロック

 

ずっと眠ってた

ずっと黙ってた

 

おおい 呼んでいる

おおい 行ってみよ

遠くに 何かが 見える

 

勉強よりも いま

大切なもの

 

おおい 呼んでいる

おおい 行ってみよ

見つかりそうなんだ

 

永遠です

永遠です

永遠です

突撃ロック

 

未来は ほら 追い抜いて

本当は そら 飛べるふね

 

そっと行くのか

ぱっとやるのさ

 

おおい 呼んでいる

おおい 行ってみよ

いま やれそうなんだ

 

永遠です

永遠です

永遠です

突撃ロック

 (突撃ロック/ザ・クロマニヨンズ

今回もありがとうございました😊

 

 

ギリギリガガンガン

さて、やりたいことは決まりましたが、この時はまだフンワリ決めただけです、自分の中だけで…。

あれこれ迷いながら自分のタイミングを待つわけですが、そーゆー時は急にきます✨

缶蹴りの始まりです(^^)

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 【目次】

 

本屋さん

 

これから知らないことをいろいろ知り得ていくためにも、「とりあえず本屋やろ」と思い三宮の紀伊国屋書店へ。

なんか本屋ってそーゆーイメージ。何かを切り替えたい時に行ってみるみたいな感じです。

なんだろう、それっぽい用事のために電車に乗って本屋に行くというだけで自分の中では事業活動している気になってましたね。

で、企業とか経営とかビジネス系のコーナーに行きます。今まで決して行くことのなかったようなコーナー。いろいろと眺めてみます。参考書とか探す時もそうなんですが、似たような文言の帯が多いですよね?「これさえあれば!」とか「この一冊で!」みたいな。だいたい、イラストが見やすく簡単なヤツを選ぶタイプでした、昔から。 

株式会社、社会福祉法人はまぁ、規模的にも気分的にも違うなと。一般社団法人…よく分からん。小規模って考えると、合同会社とか有限会社かNPO法人?一人であれこれ考えながら、疲れてきたのでいったん地下へ避難…。そう、HMVでございます。

案の定そこでかなりの時間を費やしてしまうわけですね。

CD買ってテンションが上がってきた私は、活動のイメージ的にも、言葉の感じ的にもやっぱりNPOかなということに決めます。Uさん(姫路の事業所)とこもNPO法人やし、聞いてみよう、そのほうが分からん本読むより確実やと思いだすわけです。

ということで、未知の領域であり、おそらくどんな形であれ避けて通れない”経理”についての本を買うことにしました。

帰りの電車でパラパラとめくりますが、いきなり難しい言葉のオンパレード。

しかも、よくタイトルを見てみると”個人経営者の会計”と書いてあるではありませんか。

その本、一通り目は通しましたが、結局よく分かりませんでした。今は頭ではなく、本棚にきれいに並んでます

施設の事務の同僚に経理のイロハをちょっとだけかじりました。

難しい…私にはまだ早かったのです。

「よし、後々勉強していこう」と決意を新たにするのでした。

 

熱量…

何度も書いていますが当時の私の職場は加西市です。

ケアマネという職種がら地域やいろんな福祉関係機関、役所へ行くことが多いので、自分の中ではある程度地域の特性を知っているということや、福祉に携わっている人とのつながりがありました。

さらに、元同僚(メガネ男子)が市内の相談支援事業所(障害福祉サービスにおける介護でいうところのケアマネに近い職種?)で働いていたこともあり、加西市障害福祉事情というか、情報を得ることができていました。

 私の中で福祉の仕事においては、やはり人とのつながりが重要だと思っていました。

 それに、障害福祉の方面へ行こうと思ったきっかけというか、自分のケアマネとして目にしてきた人や出来事がその地だったわけですし。市内にはそんなに就労継続支援の事業所があるわけでもありませんから少ないのであればチャンスなのかも!?と安易に考えてしまいそうなところもありました。

しかし、都会との人口比率だったり、その時のニーズ的には妥当だったのかもしれません。そのあたり、この地の事情や需要を実際に第一線で活躍している人の話が聞きたいねということになり、その友人に同じ事業所の方でめちゃめちゃアツイ方達とお会いすることができました。あれは加西のランドマークとも言えるイオンの近くのお好み焼き屋さんでした。障害福祉の仕事をしている人で、”ちゃんと”話をしたことがあったのは見学に行かせていただいた姫路の事業所の代表の方だけでした。

まず地域の事情的には表面には出ていない、福祉が必要なのにそこにつながっていない人がたくさんいるということでした。それはどこも同じかもしれませんが、田舎にはやはり独特の地域性が根強いということもありなおさらだったのかもしれません。

だからといって就労の事業所がたくさん必要かというとそこはまた「?」です。それよりも介護寄りのサービスのほうが圧倒的に必要という現状も聞きます。

まぁ、その時の私は、就労継続支援事業所ってものがまだはっきり分かっていなかったということもあり、”そもそもB型事業所のスタンスとは?”でした。

就労という言葉と先の見学から自分なりに「こんな感じなんやな」というのは理解できましたが、まだボヤっとしたイメージだけでその地における現実は知らないのです。ところ変われば人も変わるし、環境も変わるので。

話を聞いていると「就B(就労継続支援B型の略)は何を事業所の特徴にするかが大事で、それによって来る人の層も変わる。バリバリそこで仕事をすることを目的とする場所、仕事にはそこまで力を入れなくてもその人の居場所を目的とする場所とに分かれると。どっちも正解には違いないので、あとは事業所としてどういう風にしていくか。自分はどうしたいのかをこれから考えていったらいいよ。」とアドバイスを受けました。

頭の中で、

”就労を目指すということは、それぞれ理由は違えど現状では就労が難しいということ。人によってスタート地点も違うから当然就労に至るまでに必要なサポートも違う。そもそも家から出て行くということが最初のハードルの人もいるし、もっと実践的なことから始めたいという人も当然いるわけやし…。そうか、そういう角度では考えてなかったな。就労というのは確かに大きな目標に違いないけど、人生って仕事だけしててもおもしろくないよなぁ。そういうのも考えると仕事も遊びも大切なんちゃうか。いろんな経験通して自分に自信がついてきたら次に進んでいけるんちゃうか?でも就労支援はそこを仕事で結果を出さなあかんのかも。自分はどうしたいたいかなぁ”と。

この日を境に、向き合うきっかけになるのです。

それからはこの地域の障害福祉が今どういう状況で、どんな感じの人達がいてとか、なぜ自分はこの仕事をしているかとかいろいろお話が聞けました。

これまでの高齢者介護で関わってきた人達に比べて熱量が半端ないなと思いました。視野が広いというか…。高齢者福祉とはまた違った視点で物事を捉えてる感じ。こういう言い方は失礼で間違っているかもしれませんが、高齢者福祉ってのはどちらかというとゴールに向かっていくものだと思います。

でも障害福祉はとにかく”今”と”これから”がとんでもなく広くて、福祉の中でも良くも悪くもリアルが見えてくる部分。なんせ可能性の塊、ダイヤモンドの原石のような人達と関われるわけです。それが一番に魅力的でわくわくを感じた部分でした。

そういう意味では、この日の食事会でそれが確信に変わりました。

この時は、今の事業をしている場所ではなく、この場所(加西)で、こんな思いを持った人達と同じ空気の中でやってみたいなぁと感じていました。けっこうギリギリまでそのつもりだったんですよ~(^^)

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その頃の年末、ある利用者さん宅で(^^)

 

みちくさ

そして、言われていたように”どんな事業所”かを考えていくのです。

もちろん、毎日四六時中考えていたわけではありませんよ。まだまだ現役でケアマネとデイサービスもしてましたからね。

まず、”なぜに就労支援なのか?働くって何なんやろ?”そこがハッキリしないのに、就労関係の仕事なんてできるわけないよなぁと。

自分は何で働いてるんやろ?キーワードを挙げてみます。

生活、お金、やりがい、成長、人とのつながり、役割、楽しい、自信、etc…

全部だったんですよね。もちろん、人によって優先順位は違うし、もっといろいろとあるはず。でもそれは、それぞれその人が何を大切にしているかが違うからってことで、そのために仕事をする。理由なんてなんでもいいんです。

 

でも、仕事することで自分が得たものって、全てが新しいことだったなぁと。もちろん、その時々で嫌なことや面倒なこともたくさんあって、それも含めて今の自分があるんやなと。

つまり、”仕事って出会い”やと。人であれ、物であれ、状況であれ、いろんなことと出会ってそのたびに自分の価値観や考えがさらにプラスになって…。

その全てが、自分の気づかないこともひっくるめて今の自分を作ってる。

今までの出会いの、その一つでもなかったら今の自分じゃなかったはず。

たしかに仕事が全てじゃないと思います。

でも、仕事ってそのきっかけやチャンスがゴロゴロ転がってるのもまた事実。

これは、今までの自分の経験談で♪

そうか、就労支援をなんでしたいと思ったのかって、いろんなことと出会うきっかけの場所を作りたいんやわ。」となるわけです。

それをいつも相談に乗ってもらってる事務男子と眼鏡男子とラーメンを食べながら、「こーゆー場所にしたいねん」って話して。

でも、人にはそれぞれペースがある。何かをするタイミングってみんな違うし、それは誰かに合わせる必要はないし、肩肘張ってたら疲れるだけやし。

近道してどんどん色んな景色見つけていくも良し、遠回りしてゆっくりじっくり景色を楽しんでもいい。自分のペースで行きゃいい。

あっち行ったりこっち行ったり、進んだり、戻ったり。

疲れたら休んだらいいし。

あーしなきゃとかこーしなきゃとかってないよな~。

自由な時こそ本当の自分になれてるんちゃうやろか?と。

そんな時間のこと一言で何て言うんやろ…?

 みんなにもいろいろ考えてもらいながら、ふと”みちくさ”という言葉が浮かび。

時代劇に出てくるお茶屋さんって、いろんな人が行き交うでしょ?

どこかに行く人、どこかに帰る人、フラリと立ち寄った人、常連さんとか。

あのイメージがパッと浮かんできて…

おぉっ、みんな人生の旅人やなぁみたいな。

そんないろんな人が出たり入ったりしながらいろんな人との出会える場…

一期一会を大切にしたい。

「これやな、うん、そーゆーのやりたいわ。仕事であれ居場所であれ、スタンスはこんな感じやな✨」

自分にスッと落ちたところで、名前が決まりました(^^)

 

「事業所の名前は”みちくさ本舗”にしよう」

と。ワクワクの始まりです(^^)

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看板書いてくれた友人にお願いして✨

 

夕陽がまぶしい 真っ赤にまぶしい

空き缶蹴り上げ はじまりはじまり

 

導火線バチバチ 今この瞬間

なりふりかまわない ロマンチックだ

 

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

今日は最高 今日は最高

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

今日は最高 今日は最高の気分だ

 

自分で分かるぜ 自分で決めるぜ

あふれっぱなしで カミソリ切れるぜ

 

導火線バチバチ 今この瞬間

笑っちゃうくらいに ドラマチックだ

 

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

今日は最高 今日は最高

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

今日は最高 今日は最高の気分だ

 

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

今日は最高 今日は最高

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

今日は最高 今日は最高の気分だ

 (ギリギリガガンガン/ザ・クロマニヨンズ)

 

今回もありがとうございました😊

法人名より先に事業所名ができたんですよね。

次回は法人ができるあたりの話かなぁ❓

雷雨決行

父親が亡くなった後、お酒を飲みながら、「兄弟でいつか何か一緒にできたらおもろいやろなぁ」という話をしていました。

 

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【目次】

 

 

 いい流れにはとりあえず乗ってみるのもいいんじゃない?

前職の時、今からもう7年前くらい??まだまだ今やってることが思いもしなかった頃になりますが、とある研修に行かせていただいていたときのお話。

その研修の講師さんに少し自分の目標か何かを話したんやったかな?そしたら

あなたは同じ場所にはとどまれない。自分で何かした方がいい人。でも、お金にはあんまり執着心なさそうやから会社とかよりはNPOとかしたらいいんじゃない?」と言われたことがありました。

その時は「NPO??ボランティアの団体ってことかな??なんかよー分からんなぁ」でした。

それから1年ほどが過ぎ、組織の中において年齢的にも、経験的にもいわゆる中堅に差し掛かる時期。

いつものように深夜まで仲良く!?仕事している私達は「これから自分は何がしたいのか」「どうなっていきたいのか」みたいな話をよくするようになっていました。

みんな夢や目標を持ってたので、ずっと今の場所でとどまっている感じではなかったです。前向きな話が多く、それぞれ具体的でした。

しかしながら、私は「何かしたい」という気持ちはありつつも、その決定打となる"何か"がまだ見えてないでいました。そんな中、三羽ガラスの1人のメガネ男子が障害福祉の相談員としてヘッドハンティングされるわけです!

市内の福祉業界において、人望と人の繋がりの広さは、たぶん施設内においてダントツな彼なので、当然周りが放っておかないだろうと思ってました。一足先に転職の動きに(^^)

そして、時を同じくして、ネット販売の会社をしていた弟から連絡が入ります。

「就労支援て知っとる?知りあいがそういう取り組みしてて、そういうの聞いてさ。一緒にやってみーひん?」

3兄弟の真ん中の弟は、数年前からネット販売の会社をしていました。今みたいにまだネット販売が当たり前になる少し前、最初は家の部屋から始まり、引っ越し引っ越しを繰り返し、そこそこ大きな場所で経営していました。

当然「え?何それ?」です。

その時、障害福祉に興味を持ち始めた頃だったので、就労支援という言葉すら初めて耳にしたもんです。いろいろ調べたり、周りに聞いていきます。

まず就労継続支援にはA型とB型というのがあります。A型は訓練でもありながら、雇用契約を結ぶという形なので、それなりの福利厚生ありでハードル高そうなイメージ。

B型は、もっとソフトというか、自由というか、福祉色の方が濃い就労の最初の一歩となる場所ってイメージ。後日、弟と会って話をします。

ふむふむ…。

つまり、弟の会社としては

”新しい取り組みを試みたい”

”自分らの会社としても将来的にプラスになるかも”

”何より社会貢献になる”

”しかし、その事業を始めるには福祉の経験者、資格が必要”

ふむふむ…。

そして、私としては

”自分で何かしたい”

障害福祉に興味が傾いている”

”就労ということは若い世代と関われる”

”今の自分の経験も活かせるかもしれない”

あれ?完全にハマってるんちゃうか、コレ!?

すごいタイミングでした。なんとゆーか、自分の中でピンときた感覚??

「おもしろそうやな、やってみよか」と、よくもまあ、この時点ではまだそれがどういうことを意味するのかよく分かってもないのに、「おもしろそう」という感じで乗ってみます。こういうときって、あまりあれこれ考えずに返事する人で💦

でも、少し考えたら「障害って言ってもいろいろあるし、そもそも就労支援の事業所ってどんな感じの人が行くんやろう?」となります。

知らないことを考えても仕方ないので、「よし、やってる人に聞いてみよう。というか、実際に見に行こう。」と。

まず、デイサービスで一緒だった(その時はもう退職されていた)方で障害福祉について良く知っている方がいたので、就労支援をしている事業所さんを知っていないか聞いたところ、姫路に、若くてすごい評判のいい施設長さんの事業所があって、知人がそこで働いていると聞きます。しかも、そこの団体はNPO法人だと言います。

先に述べた研修の講師の話が脳裏に浮かびました。さっそく見学できるか聞いてもらいます。ぜひぜひということで、電話し見学の日取りを決めます。寒い冬の時期でしたが、自分の中に何か新しいワクワクが生まれ、ドキドキしていました。

いろんなことが一気に回り始めた気がしました。

 

やってみないと分からない

そして、弟と一緒に姫路にある「みんなの家」に見学に。入った瞬間、今まで自分が関わってきたり、過ごしてきた空間と全く別世界のような感覚でした。自分の中の多少なりともあった事業所のイメージが一気に吹き飛びました。

「なんだここは?」が正直な感想。

福祉の仕事という観点からはお年寄りしか見てきてなかった自分にとって、いろんな意味で衝撃でした。みなさん、いろんな作業をされてて、ニコニコ笑顔で迎えてくれる人もいれば、知らない人が来たことに対する警戒心を抱く人、無表情でじっとこちらを見ている人。でも、その初めて入る空間なのに、不思議と居心地が良かったというか安心できる感じ。

だから、「なんだここは?」

そして、代表の方とお会いします。たしかにお若い!私の1つ年上の方。職員さんや利用者さんらから慕われているのが一目瞭然。熱く、それでいて温かいものを持っている人。

まず最初に事業所内を見て回り、そこがどういうことを目的に、どういう人達を対象にして、どういうことをしているか教えていただきました。

そして、自分でやりたいという話を伝えたところ、

「この仕事は同じ福祉でも高齢者とはまた違いますわ。福祉的なサービスも大事やけど、何が一番苦労するかって仕事を確保すること。みなさん仕事しに来てるわけやから、作業は絶対に切らせられへんからね。軽い気持ちで始めてアカンなった事業所もようさんありますよ。」と経営的な視点の話をして下さいました。

私なりのやりたいこと、こうなればいいなって話をしたあと、彼は続けます。

最初は僕も分からんことばっかりで苦労したし、職員さんらにもしんどいめにあわしてきました。でも、それ以上にやっぱり利用者さんみんなの顔見とったら、やってよかったって思います。みなさん抱えてるもんいっぱいあるし、世の中的に嫌な思いをしてきた人もたくさんいます。いろんな家庭の事情もあるしね。でも、みんないい笑顔見せてくれるんですよ。色々ある中でもこうして来てくれてるってことは、理由は何であれここがその人にとって何らかの役割になってるんやね。そう思うと、たまらんですよ。それが続ける原動力かもしれない。なんせ、この仕事はまだまだ可能性しかないですからね。だから、同年代で同じ思いで志してる人ができるのはめちゃめちゃ嬉しいです。後押しはなんぼでもするし、応援しますよ。」と。

この方とは、それ以降もいろいろと連絡を取りその後も長い付き合いになるわけです。

 

見学を終え、「この人にはかなわんなぁ」という思いと「いつか肩を並べれるようになる」という思いになりましたが、経営という自分の中ではとんでもない大きい現実に向き合わなければいけないんだなと。「自分にできるんやろか?」とビビってしまう自分もいました。

…が同じくらい、おもしろいことになりそうって予感と、自分の価値観にかけてみたいという思いもありました。

帰りに寄ったご飯屋さんではその思いが行ったり来たりしていました。

その迷いが伝ったんでしょう。会社を6年ほどやっている弟からしたら「大丈夫やろ。俺もいろいろアドバイスするし、軌道に乗るまでは一緒に考えるわ。とりあえずやってみな分からんやろ?絶対うまくいくと思うねん。」と。

そして、帰りの車の中で答えははっきり決まりました。

「よし、とりあえずやってみよう」

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その事業所さんのスイーツ♪うまいんですよ〜

 

やりたいこととは何ぞや?

それまでの10年とちょっと、高齢者福祉だけをやってきました。この仕事は人生のラストに向かっていく最中で、ある程度完成されつつあるその人の人生にお邪魔させていただくってことだと思ってます。

私達が知らない時代の生きた証人と直接触れ合うということは本当にありがたい。

特に戦争を体験してこられた世代はすさまじい道のりを歩んで来られたわけです。

その原動力?パワー?生きる意志?って何なんやろうか…。何十年もの間、その人を支えてきたのは、決して足腰だけではないはず(笑)

うまく言えないですけど限られた時間の中で

"生きるってこういうことや"みたいなんを教えていただきました。

私が思うに、この仕事(高齢者福祉)の素敵なところは人の生き様に出会えること。

同時に「あなたはどう生きていく?」って問いかけられてることかもしれませんね。

その問いに取り組むために進んでいくんでしょうね(^^)

 

 偉大なる先人と関わってきた身としては、それを糧?武器?に、同世代や下の世代とか、今の時代やこれからを作っていく人達に伝えていく役割があると思いましたし、「温故知新」何かおもしろいことができたらなぁと。そういう意味では、私が高齢者福祉から障害福祉に転向するのは必然的だったんだろうなと思うようにしてます。

以前は、自分をアウトプットするツールは、音楽でありバンドでありライブだけだと思ってたんです。なんでそうやったんか考えてもなかなか出てきそうで出てこない。感じてるのにそれが何か分からなかったんです。

「メンバーやお客さんとのあの感じはいったい何なんやろう??何事にも飽きやすい自分がなんであそこまでのめりこめたんやろう?」

たぶん、好きなこと、自分が楽しめることを通して人とつながって、共有できた時の喜びだったんだと思う。つまりは、人と関わることが好きなのかもしれないなと。

高校生の頃、私が進路に迷ってるときに友人が「お前福祉に向いてるんちゃうか?」と言ったのって、そういうことやったんかもしれません。

あぁ、なんやそういうことか…

自分がやりたいことって"ワクワクしたいってことやったんやなぁってのに、この頃に気付き始めたわけですね。

それだけには正直でいたいなぁと思います。

なので、福祉×音楽は私にとって全てのキーであり、これからいろいろと自分なりの答えを出していくテーマでもあります(^^)

 

かくして高齢者福祉という業種にいったん区切りをつけて、次なるステージに進んでいくわけですね~。

私なりには腹をくくったわけですが、ここからまたいろいろと始まって行くわけです。

それにはいろいろと困難もありました。

次からは、いよいよ立ち上げに至るまでになってきます…たぶん。 

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言いそびれたことがあるけど

かき消されていく風の中

何が失望か絶望か

やり残したことなどないぜ

 

真夜中何度も何回も

暗闇の中を手探りで

ドアノブを求めつまづいた

とにかく出口が欲しかった

 

合言葉は雷雨決行

嵐に船を出す

 

引き返すわけにゃいかないぜ

夢がオレたちを見張ってる

 

オレが知らないオマエがいて

オマエが知らないオレがいて

笑えないくらいにかじかんで

同じドアノブを掴んでた

 

合言葉は雷雨決行

嵐に船を出す

 

引き返すわけにゃいかないぜ

夢がオレたちを見張ってる

 

引き返すわけにゃいかないぜ

夢がオレたちを見張ってる

  (雷雨決行/ザ・クロマニヨンズ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エルビス(仮)

今回は仕事仲間って感じの話です(^^)

やっぱりいろんな人と出会うことで、それまで全く予想していなかった自分に変わったり、意外なタイミングで気づかされたり、思い出したり。とにかく、出会うことが大切だと思う、たぶん…。

 

【目次】

 

パーティー

この職場でも、いろんな仲間に出会えました。

「福祉の就職フェア」で出会った男性を除くと入職した時点で働いておられた方々は少し上の世代。施設の設立から考えるとちょうど安定期に入るかなくらいの状況だったのでしょうか。安定期の組織ってよくも悪くもいろんなことがある程度出来上がっています。

石が岩になりプライドが出来上がる一方で、風通しがあまりよくなくなり、新しい価値観を受け容れにくくなる可能性もある。

物事や状況は常に変わるものなので、個人的には新しい価値観や物の見方はどんどん取り入れるべきだと思ってます。それと古き良きが混じり合うことで新しいモノができるのではないでしょーか?まぁ、同じような所をグルグル回るのは嫌いですね〜。…飽きっぽい性格というのもあるのでしょうけど💦

何より、そのほうが絶対おもしろいと思うので(私の場合は)。 

そういう点では、比較的職員の出入りが激しい職場でしたのである意味新しさはあったのでしょう。

そんな中、ちょくちょく登場するメガネ男子と私のちょっと後に入ってきた事務職員の男子が歳も近くて、話や考えも近かったので、よくつるんでました。

その後に入ってこられた事務さんでサバサバして芯の通った姉御肌の方にもいろいろお世話になりましたね~。

 

そのメンツで、交代で年に数回ある「福祉の就職フェア」によく行かせていただきました。

私もそこでこの職場と出会いましたので(^^)

おもしろいもんで、前は”職を探す側”だったのが、今度は”人材を探す側”になるわけです。視点が違えば、同じ場所に行っても見え方が変わっておもしろかったし、人に声をかけて自分らのブースまで案内する難しさと楽しさを味わえました。最初は何から話そうか?とか、どこまでで引き下がるか?とかいろいろ考えながら、人を見ながら声のかけ方やタイミングをはかってました。

新卒組の人、転職組の人、復職組の人。見つけたい職場を絞ってきている人、できるだけたくさんのブースを見たい人、福祉の仕事をしたいけど何が何やら分からない人、いろんな事業所のパンフレット収集が趣味っぽい人…。

声をかけてほしそうにしている人もいれば、声をかけてほしくなさそうな人、とにかく人の観察という練習でした。

ある時のフェアで、私の所属している部署の一つの「居宅介護支援」のケアマネさんを見つけるというミッションがありました。

”介護職員ではなくケアマネ系を目指してそうな人”を探します。

その中で直観でピンときた人がいて、一緒に行ったみんなにも聞いてみたら、同じだったので「よっしゃ、あの人行ってみよか」と声をかけてみます。

まさかのビンゴ!職種も勤務希望場所もドンピシャだったのです!

我々めっちゃテンション上がりましたね(笑)

そしてその人も仲間に入ることに。私と同じケアマネだったので、まぁ、初の同職種の後輩ができるわけです。その頃の私はと言いますと、前回にチラッと書いたようにケアマネ、デイサービス相談員、施設ケアマネと三足のワラジをはいていたので、その人には私宛の電話の要件を聞いてもらったり、調べ物とか書類準備してもらったり、来客対応してもらったりと申し訳ないくらいサポートしてもらってました。

しかも全てがさりげなく、それでいて確実。

自分の仕事もある中でめちゃめちゃお世話になりました。

信頼できる相棒です(^^)

その人も含め数人でよく遊ぶようになったり、互いに仕事における悩みとかも打ち明けたり。まさにパーティー(仲間のほう)だったと私は思ってます。

しばらくして、それぞれがそれぞれの道へと進んでいくわけですが、なかなか濃い時期でした。とりわけ私と眼鏡男子と事務男子は正直ヤンチャなくらい残業しまくりでした。深夜をまたぐこともよくありましたが、そこでいろんな夢を語り合ったり、事務所のおやつを無断で食べつくしたりもしちゃって…。三羽ガラスとでも言いましょうか。

私にとっては新たなアイデアがひらめく時間だったし、それに対するアドバイスももらったり、とにかく楽しかったですね。あの時間があったからこそ、今の自分に行きつくわけですから。

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アートな人

デイサービスで前の主任さんが退職され、まさかの主任になってしまうわけです。

そこもかなり人の出入りが激しかったですね。ケアマネでは上司と、先に話した相棒の3人だったので、何ごとも比較的スムーズに動けるのですが、デイサービスとなると別格なわけです。前職のデイサービスとは環境面、利用者さんのニーズ、施設の考え方も違うので、同じようにはいきません。

上とかけあってもことごとく「NO」が返って来ることが多く、たびたび言い合いになることもありました💦言うことをなかなか聞かないので、ついには主任→副主任に降格。

それでもできる限り今の状況を変えていきたい、もっと来ている人が楽しめる場所になりたいと思ってできそうなことは色々とチャレンジしてました。その時々の働いてたスタッフさんにはすごく協力してもらいましたし、サポートしてもらいました。

日々の業務はもちろんですが、スタッフさん一人ひとりの得意分野や好きなことをどうにか活かせないかといろいろと試していたのですが、ある時期に働いていたスタッフさんで、一風変わった人がいました。初めて合ったようなタイプの人。なんてゆーか、独特の世界観を持ってて他と交わるのは得意な人ではなかったですが、抜群の芸術センスと利用者さんを見ている視点が他の人と違うなぁって。その人がいる時期は、芸術系を活かしたアクティビティ(レクリエーション)が主になりました。

なんとなく適当にやるのではなく、細部にまでこだわる姿勢はすごい。事前にいろんなサンプル作ってきてくれたり、利用者さん一人ひとりの特徴を捉えて誰に何をしてもらうか、材料などの段取りなど多岐に渡って活躍してくれました。その時期のデイの作品はかなり本格的で完成度も高かった。

自分の下の人がそれだけいろいろやってくれてるんで、仮にも立場が上な自分がそれ以上にがんばらないでどうするねんと思いながらやってました。

そして、それを市立図書館に展示させてもらうということにもなりましたからね。

一見すると難しそうなことも、それぞれの得意なことを組み合わせることで「自分にもできる」という達成感と自信を味わってもらうことができていました。実は、それって今の仕事にも通じてて、めちゃめちゃヒントもらえたんですよね~、本人には言ってないけど(^^)

何を隠そう、今の事業所の看板、その人が「お祝い」って作ってくれたので!!

 

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向き合う時期

話をケアマネ業務に戻します。訪問という業務の中でいろんな自宅へ行くわけですが、ケアマネというのは本人のことはもちろん、生活環境を把握するのも大事なこと。住空間、家庭内の介護力、金銭面など…。トータルしてその人の生活に必要なサポートが何かを考えるわけです。田舎ということもあり、やはり最も多いのが家族の介護力です。高齢者夫婦世帯、その中でもご家族が近隣にいる方もいれば、遠方でなかなか来れないという方もいます。子や孫が同居世帯もありますが、その中でも家族状況は色々ある。

担当している数件の家であることに気が付くのです。

それは、同居家族が何らかの障害を持っているということ。話をしているとかみ合わないなぁと感じる家族さんがいたりしました。担当している利用者さん自身が何らかの障害を持たれていたり、夫婦ともに障害を持った高齢者だったり。

ある家庭では、母息子2人でその息子さんが知的障害を持っていたり、自閉症(当時はよく分かりませんでした)で長らく家から出ていなかったり。またある家では、介護をしているうちに疲れと先の見通しから鬱になって通院しているとかもありました…。

ある家族さんは事務所に電話をかけてくれても、ある時はめちゃくちゃ上機嫌で笑って話してくれるのですが、ある時は怒った口調で厳しい言葉を出されたり、事実ではない話をされたり…。訪問しても独り言だったり、鳴ってもいない電話のような会話をしていたりと、私自身何が起きているのか検討がつかなかったのですが、よくよく聞くと統合失調症を発症していたとか。

これまで私の経験してきたことや、覚えてきたことが到底通用しない場面が出てき始めました。地域包括支援センター(その地域全体の福祉の相談窓口)やエリアの健康福祉事務所の専門職と連携することもしばしば。お年寄りの在宅生活をとりまく環境を守るために、単に介護保険サービスだけで間に合わない、もっと深い部分が見えてくるわけですね。

私の中で少しずつ”障害福祉”というものに目を向けずにはいられない状況になってきました。しかし、同じ「福祉」なのに全くもって障害福祉のことは分からない。

いろいろと整理をしていく中で「あれ?お母さん(お父さん)が亡くなったら、この人達はどうするんやろう?こんな場合はどこに相談したらいいんやろう?てゆーか、障害福祉ってどういう機関があって、どんなサポートがあるんやろ?

…情けないながらそんな程度でした。

それから、いろんな人をたどって障害福祉サービスってのを教えてもらうようになるわけですね。

 最初は、あくまで”自分の担当しているお年寄りの在宅生活継続のために”なわけですが。

知らない世界、知ろうとしてこなかった世界。

これまでの福祉のキャリアの中で、分かっていながらも自分には難しい分野だと決めつけて目を逸らしていた分野でした。

ついに目の前に出てきたものですから、逃げるわけにはいかなくなったのでしょう。

でも不思議と違和感なく自分の中に入ってきたという感覚でもありました。

そして、2人のカラスに打ち明けます。

「やりたいことができた」と。

 

無法者が昨日 運命蹴飛ばした

何もかもがすべて 変わってゆくのなら

 

裏切りの城から 秘密が逃げてゆく

千里を走ってく 雨の馬に乗って

 

ゆがんだ唇エルビス

ひずんだブルースを歌えば

 

価値も分からない 手から手へわたり

ホコリをかぶっている 宝物

 

今だけ 今だけ 今だけ 今だけ

 

惑星が燃え尽き 人として笑顔で

お別れの時間だ 沈んでゆく朝日

 

ゆがんだ唇エルビス

ひずんだブルースを歌えば

 

価値も分からない 手から手へわたり

ホコリをかぶっている 宝物

  (エルビス(仮)/ザ・クロマニヨンズ)

 

というわけで、次回いよいよ次への扉が開くわけです。今回もありがとうございました😊

 

タリホー

たぶん一番忙しかった時期であり、今へのヒントが出揃った時期でもあります。

たった一つの仕事も、きっと自分一人では成り立たない。そーゆーのを身をもって分かりだしたのがこの頃だったかなぁ〜。

 

【目次】

 

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ちょうどいい距離

ケアマネの業務のまず第一歩は、訪問する利用者さんの家を覚えることから始まります。業務の中で月に1回は自宅訪問します。

モニタリングといって、現状の生活状況の確認や、サービスの効果や満足度の確認、そして継続か否かを聞いたり、客観的に見て変更または追加の必要性の有無を確認しに…

というのが目的。でもそれ以上に担当してる人に会えるってのが楽しみだったりします(^^)

ちょっと行って話をするだけですが、ありがたいことにそれをすごく楽しみにして下さってた方も。こちらとしては、一人ひとりのこれまでの人生、思い出が詰まった家、部屋に上がらせていただくんですから、こんなありがたいことはないです。

ちなみに私が担当させていただいた方は多い時で48名(うち10名ほどはケアハウスの方)ほどいましたので、一人ひとりをしっかり覚えないとですし、覚えてもらわないとですし。

それまでの経験からもけっこう人を覚えるのは得意でした。たぶん、向き合って2~3分くらいちゃんと話をすれば覚えます(名刺交換やその場での挨拶だけではちょっと難しいかな?)

接客商売でもなんでもそうだと思いますが、特に福祉の仕事はそうなのですが、まず相手のことを知ることから始まります。

特にケアマネってのは、通常は全てのサービス云々の入り口で関わるもんなので、そこから先に関わっていく人達(サービス事業者の皆さん)に「大まかなその人像」を伝えていく役割があるのですね。

そして、何より”その人がこれからどう過ごしていきたいか”を一緒に考えていくのが仕事なので、その人のことを知らなければ何も始まりません。

服装、髪型、歩き方(車椅子)、仕草、におい、話し方、声質、癖、出身地、趣味、好きな食べ物、などなど…。出会った瞬間から無意識下に情報収集を行います。

「私はあなたのことを知りたいんですよ~」という気持ちで。

でも、いきなり知らない人に根掘り葉掘り聞かれていい気をする人は少ないでしょう。

人それぞれ対人関係においてテリトリーがあるので。そこを無視して距離の取り方を間違ってしまうと、たちまち拒否反応を持たれるわけですね。

そうならないためには、まずはファーストインパクトが重要なのです。

しかし、月1回の訪問なので、その1回1回が大切な時間。限られた時間で、相手の要望とかを引き出さないといけないのでね。話が長めの方や、内容がループしちゃう方の訪問では時にかなりの時間滞在することもしばしば…

最初の頃は行って世間話して何も引き出せず帰ることもありましたよ💦

でも、そういうところから少しずつ相手と最適な距離を測ったり、いずれは信頼関係につながると思うのでそれも大事(^^)

"ローマは一日にしてならず"ってやつ。

けど、福祉の仕事をしてる人でありがちなのが、自分本位の間合いでグッと距離を詰めてしまうこと。逆に極端に距離を取って遠すぎる位置で関わってしまったり。

もし、今福祉の仕事をされている方の中で他者との関係性がうまく作れないなぁと思う方は、おそらく相手との間合いがよろしくないのかもしれませんね。

相手のことを紙ベースの情報ではなく、どれだけ知ってますか?どれだけ気にかけていますか?まず相手のことをよく見て、本当のその人知る、知ろうとする姿勢で関わってみながら、最適な距離感を探ってみましょう(笑)

ピントがずれていては、ぼやけたその人しか見えませんからね。

それに、ずれたまま行くと、先々になって修正不可能になっちゃうことも⁉️

まぁ、これはあくまで私自身の経験測ですが。

 

なので、まずは自分自身のことを多少情報開示する。相手にとって自分が何をする人なのかをできるだけ分かりやすく示す。こちらから先に開かないと、向こうから開いてくれることは、まぁ少ないでしょう。

私は初対面の時には、相手にとって自分はどのカテゴリに分類されるのかを考えますね。

自分(私)がイメージしてる自分ではなく、相手がイメージしやすい自分(私)はどんな存在やろうか?もちろん、ケアマネ―ジャーなんですが、それは”ケアマネという職種”の紹介。

それよりも”このどんな人なのか?信用できるのか?”のほうが重要でしょう。

そのためにはまずは相手の身近な存在になってみる。とりわけ、お年寄りサイドからすると私は年齢的には孫世代にあたる場合が多かったので、ケアマネという仕事で関わっているよということを醸し出しながらも、説明しにくいのですが、どこかしら”なんちゃって孫感”を出すわけです。だからといって馴れ馴れしくするのとは違いますよ!?

これって、介護職の陥りやすいとこなんですが、変に馴れ馴れしいヤツというか…。そんなのはただの勘違い野郎ですのでご注意を。

そうではなくて、におい?エッセンス?ニュアンス?「ほんのり孫っぽい」くらいの感じ。

付きすぎず離れすぎずのちょうどいい距離を取るというのは、なかなか難しかったりするんですけどね。相手のその時々の状況、気分、体調でも変わってくるし。

それを肌で感じ取れる人は私は「なんてセンスのある人なんだ!」と思います。

あとは経験と感覚かな?

 

チーム作り

介護保険サービスは、まず対象となるお年寄りがいて始まるわけですが、何も訪問して世間話をするだけが仕事ではありません。かと言って、ケアマネージャー自身がその人に直接サービスを提供するわけではありません。自分達は

今のその人にとって有意義なサービスは何か?通所系サービス、訪問系サービス、施設サービス、福祉用具貸与サービス、今何が必要なのか?」を一緒に考えるのが役割。

そして、必要に応じて各サービス事業所へつなぐこと。その人の在宅生活を皆で支える。

担当させていただいたお年寄り一人ひとりとの思い出はたくさんあります。

認知症の方で徐々に進行していってしまう方もいたし、身体がどんどん動かなくなる方もいました。最終的には死を迎えて行く中での本人の苦悩、あきらめ、家族の苦悩、悲痛な叫び。在宅介護の限界から泣く泣く施設入所を選択せざるを得ない方もいましたし、介護疲れから精神疾患を患ってしまった家族さんとか、中には家族から疎まれキーパーソンは家政婦さんとか、勝手に車で出かけて出先で事故起こしたりとか、子供と2人暮らしでその子供(といっても、それなりの年齢)さんがどうやら障がいを持たれてるとか…。

夕方に一人で出歩いてしまい、ヘルパーさんと一緒に探し回ったり、切れた電球を交換したり、網戸が外れて困ってるとかもありましたけど💦

大なり小なりご本人やその周りの人の切迫した状況を目の当たりにして、それまでの現場にいた頃の自分はその一部分しか見てなかったんだと気付く。世の中が見て見ぬ振りをしてるところ…たくさん見ました。

そして、担当させていただいた方のうち10名以上の方の最期にも関わらせていただきました。

そこには、必ず一緒に動いてくれていた事業所さんがあるわけです。

いろんなケースで様々な事業所さんとチームを組んでいくわけですが、だいたい助けられっぱなしでしたね。

様々な現状を一刻も早く打破するために一緒に悩み、何度も何度もアイデアを出し合いました。時には事業所さんそれぞれの立場における考え方の違い、対応できる限界に直面することもありました。無理なことをお願いして聞いてもらったりもしましたし、私の不手際でご迷惑をおかけしたことも数え切れません(^^)

それでも、訪問してみんなで他愛のない話をすることで、お年寄りの笑顔を作れたり、その人や家族を束の間かもしれないけど支えることができました。失礼を承知で言いますが、2度と会えなくなる場合もありますから。

そんな一瞬一瞬を共にしてきた事業所さん達は、所属は違えどある意味、戦友のような存在。ケアマネの仕事を辞めたあとでもつながれているのは私にとって財産です。

数々のエピソードがあります。その一つ一つが今となっては思い出なのですが、私の中で一番印象に残っているものを一つ。

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チームですね、この方達も

 

8日

医療機関とも連携は欠かせませんでしたが、ある時、病院から依頼が入ります。

入院中の余命2週間ないくらいの方。ご家族から「最後は自宅で過ごさせてあげたい」ということで在宅サービスをお願いできないかというケース。最初に電話があった時は驚きました。初めて関わる人が余命2週間なんですからね。とにかく、医師、看護師、MSW(メディカルソーシャルワーカー)、そしてご家族と話し合いの場があるとのことで、急ぎでチームを組む必要がありました。最低限欠かせないであろうサービスの調整に動くわけです。

訪問介護訪問看護福祉用具、訪問入浴、それぞれの事業所さんに連絡したところ、皆さん、最優先で予定を調整してくれて、皆で病院に行きます。

たぶん、電話があった当日か翌日だったような…。

初めから最期に向けた支援をする。本人にお会いした瞬間は正直複雑な気持ちでした。

それでも、自分達でできる限りのことをしようとなります。皆さん、かなりの経験者だったので、状況判断、希望から各々ができる最善策を持ち寄ってくれました。退院は数日後、私の役割はそのスケジュールとサービス利用の計画書を作ること。一週間の中で何曜日の何時にどのサービスを入れるか。それぞれの可能な限りの案を出してもらい、それを計画書に落とします。

毎日、朝、夕には身の回りの介護のためヘルパーさんを入れる。日中には看護師さんに訪問してもらい体調の確認。一日置きに訪問入浴。

そして、何よりもまず福祉用具さんが自宅環境を整えてくれました。

これで退院準備はバッチリ。退院時、そしてほぼ毎日、私もどこかのタイミングで訪問しました。各事業所さんも、訪問した際の様子などを事細かく報告してくれました。

本当にすごい人達だなぁと尊敬しました。

しかし、当たり前なのですが日に日に様子は変わってきます。ご本人の様子、事業所さんの見解、ご家族の希望、細かい調整をしていきます。訪問時間の変更や回数を増やすとか、けっこうなスピードで状況変化するんですが、皆さんそれに対応してくれてました。

そして…最期を迎えられるわけですね。

葬儀などを終えた後に他の事業所さんと訪問させていただいた際、

「みなさんのおかげで、本人の希望通り家で最期を迎えれました。毎日いろんな方が来てくれて、本人も喜んでたと思います」

とお言葉をいただきました。

それを聞いた瞬間、事業所さんはともかく一番何もしてない自分にまで、こんな言葉もらっていいのかな?と思いましたが、それは違ったんです。

簡単なことですが、いろんな事業所さんが関わるというのは、それぞれにしかできないことがあるからで。

直接的であれ、間接的であれ自分の役割を全うすることが大事。それがチーム。

そう考えると、もしかしたら初めて自分の役割を自分の役割と認識して自分の役割ができたのかもしれないなと思いましたし、「あ、オレ今ケアマネやってるやん!」と。

なんせ一日一日が濃いかったですからね。

不謹慎ですが、達成感というか、チームを作って一丸となる楽しさ?に気付いたというか。

それに、ケアマネという仕事を通して見てきた様々な現実、とりわけその中でも"障がい"というキーワードが自分の中で何となく引っかかりだして、ここから色々と考え始めるわけです。

 

わいタリホー さめタリホー

氷もほっときゃ流れるぜ

 

あれはカモメか翼の上か

そのまま長い堤防か

形は変わる自分のままで

あのとき僕はああだった

 

闇に溶けてゆく 海へ海へ

まぶしい陽にのぼる 空へ空へ

 

わいタリホー さめタリホー

氷もほっときゃ流れるぜ

 

ほんとうの時 教える時計

おもいをはかる 温度計

涙の記憶 消えたりしない

漂っている赤道か

 

闇に溶けてゆく 海へ海へ

まぶしい陽にのぼる 空へ空へ

 

わいタリホー さめタリホー

氷もほっときゃ流れるぜ

   (タリホー/ザ・クロマニヨンズ)

 

というわけで、今回はケアマネを主眼においたお話でした(^^)次は、事業所内での仲間たちとのお話かな?

今回もありがとうございました😊