NPO法人代表の"未来は僕らの手の中"

"音楽×福祉"NPO法人の代表が日々のあれこれを日記みたいにゆるーく書いていくブログです。

紙飛行機

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さてさて、転職が決まってからのお話でございます。

いよいよケアマネの仕事…??

いろいろありましたよ、イロイロ。でも、この時期の経験と出会いから今の事業に至るという感じです(^^)

 

【目次】

 

田んぼは続くよ、どこまでも…

さて、加西市というところは想像以上に田んぼでした。父の生家が加西でしたが、行ったことはありませんでした。風景的にはのどかのどか。空気は綺麗ですし、匂いもこれまでの神戸に比べて純度が高いと言いますか、本当に季節を匂いで感じることができるような場所。田舎のイメージそのまんまです。

そんな田んぼの真ん中にあるケアハウス。

ケアハウスとは、軽費老人ホームと言って、65歳以上の方であれば基本的な条件(面談、金銭面など)があえば入居できる施設。食事も出るし、お風呂も入れます。ただし、施設の介護サービスは原則使えませんので、もし自分で身の回りのことが難しくなればホームヘルパーやデイサービスなど外部の介護サービスを使います。それでも追い付かない、昼夜通して介護が必要になれば特定施設入居者生活介護という24時間の施設サービスへの切り替えもできます(すいません、ザックリした説明で)。

この施設は、さらにデイサービス、居宅介護支援センター(ケアマネ)を併設しており、私はこのたびはケアマネとして居宅介護支援センターにお世話になるべく門を叩くのです。

面接の前に書類を出しに行くわけですが、第一印象としては、「じめ〜っとした暗い雰囲気」でした。

活気がないというか、何かが足りない感じ。職員さんも、一部を除いては外部に対して距離をとっている、「誰やこいつ?」みたいな表情してる人も。まぁ、いきなり見知らぬ男が来るわけですから、いた仕方ないかもですね。

正直、「あれ??」という感じでしたが、「田舎の人独特の奥ゆかしさみたいなもんやろうか?」と思うことにしました。

でも、思い出しました。前の前の施設も根っこの部分では同じだったのだと。

失礼を承知で言いますと、施設というのはその中でいろんなことが完結してしまってて外に目を向けていない傾向があるのかな?必要性がないのかもしれませんね。そこだけの世界観というか、井戸の中の蛙状態。それが悪いわけではありませんが、私が福祉の仕事に対するなんかモヤモヤしてるものって、たぶんそれなんですよね。

良くも悪くも一歩入った時点でそれが確信に変わったのかも。なぜか、その雰囲気を少しでも変えてやろうと逆に燃えましたけどね。

そんなことを思いながら、面接会場で待たせてもらいます。面接の時間になると、面接官が入ってきます。1,2,3,4,5…9!?

なんと!まさかの9対1です!!

さすがに予想外でした。施設長、事務長、全体の主任、事務主任、各部署の主任・副主任、とまぁ、施設の顔役であろう方々が勢ぞろい。

驚きつつも、それだけいろんな目で判断されるのだなと。いろいろと質問をされるわけですね。動機か何かの質問で最初は「ここでずっとがんばります(自分に合ってたら)」的な半分お世辞的なことを言おうと思ってたのですが、

先々自分で何かをしたいと思っているので、ずっといるつもりはありません。そのためにもいろんなことを見て、もっと自分自身が成長できるよう、たくさん経験したいと思って転職しました」みたいな、調子乗り発言をしました。この頃は、もうそう思っていたので、「言ってしまえ」と。もしそれで不採用ならそれでもいいくらいの気持ちで。(あ、もちろん仕事に手を抜くとかではないです)

で、まぁ採用されることに(^^)そして、2月からスタートするわけです。新しい仕事内容にわくわくしながら1月を過ごすのです。

 

ケアマネ+デイサービス相談員+施設ケアマネ=身体がもう一つ欲しい

初日、オリエンテーションを受け辞令を交付されるわけですが、そこには…

介護支援センター、デイサービス、特定施設入居者生活介護という3つの部門への配属が書かれていたので「???」です。

いやいや、ケアマネでしょ?と思っていたのですが、「いろんなことを経験したい」と言ってたことと、経験からそう汲んでいただいて!?、まさかの3足のワラジ💦

まぁ、これもいい経験やし、やってやろうみたいな意気込みでしたが、予想以上にハードな毎日になるわけですね。当時の私を知る人は頷くと思うのですが、シフト、おもしろいですよ。いろんなところに名前がありましたから。

しかも、1日の中で時間ごとに部署をまたぐというね。事業所内フレックスみたいな感じでしたね。慣れるまでは自分が今は何者なのか、どこにいないといけないのか分からなくなったり(^^)もちろん、場所によって役割が違うわけなので、切り替えなければいけないという。業務的にきりがいいタイミングと時間で区切るタイミングが、これまた絶妙に難しかったりします💦「あと15分欲しい!」みたいなね。

特にケアマネとしての仕事が回り出した時って他の業務しながらも外部から電話がかかってきたり、来客対応したりスイッチの切り替えと情報の整理が追いつかなくなったりも…。

とにかく、ビックリするくらい刺激的な日々が待っていたのです。たぶん、その事業所の中でも忙しさにおいてはかなり上位にランクインしてたかもですねー✨

おかげでかなりタフにはなりました!…ってことにしときましょ。

まずはケアマネの業務をなんとなく教えてもらいます。神戸のデイサービス時代に、何となくの業務は見聞きしていました。ケアマネとは何ぞや?を一応説明しときます。(多少、個人的な見解もあります)

要はケアマネとは介護保険サービスを使いたい人、使う必要がある人、いずれ必要になる人やそのご家族の相談窓口的みたいなもの。そして、それに伴う情報収集/情報提供であったり、各種手続きの代行やサービス事業者(デイサービス、ヘルパー、福祉用具ショートステイなど)の紹介や、使っているサービスがその人の保険内でまかなえているかなどの調整、プランニングを元にした毎月のスケジュールの管理が主なお仕事です。

広い守備範囲でその人をとりまく環境を整理しながら在宅生活を続けるためにはどうやっていくか?”を一緒に考え、作っていくのが役割です…と思っています。

そのためには、知識を始め制度のこととか、どれだけいろんな引き出しがあるか、どれだけいろんな人とつながってるかで変わると思います。むしろ、それが90%くらい大事かも。

となると、やはり以前のデイサービス相談員という役割よりも、いろんなことを知らないといけないし、いろんな人と関わることが必要。

そう思ってたので、私にとっては楽しみでした。

上司に連れられていろんな事業所さんにあいさつに行くわけです。当時はまだ20代後半ということもあり、自分で言うのもなんですが、そこそこ掴みはOKだったようです。

私もなんでも早いうちが、若いうちがいいと思っている人間なのですが、まず一つとして、そのほうが周りの目を引くから覚えてもらいやすいし、新鮮な目のほうが新しい角度から物事を見れるんじゃないかというのがあったりします。

経験豊富な熟練者がそれ相応のポジションでってのは、「うん、まぁそうやろうな」と思われがちですし、その世界が長ければ長いほど良くも悪くも知ってしまうから、いろんなことを経験則で判断してしまう。なんでもやる前から判断してしまって結果リスクをとってやらないというのを選択してしまうのかもしれません。もちろん、それはそれで良いことなんですが、私はそれはおもしろくないなと思うので。

右も左も知らないならではの価値観とか感覚って、先入観がないから意外とおもしろいし、いろんな失敗を、たくさん重ねられるし。それに教えてもらったことを消化するのも早い気がするんです。実際、外部の事業所さんには、お世話になりっぱなしでした(^^)

いろんなケースで助けられたエピソードあり、そのあたりはまた次回に♪

 

デイサービスについては、正直なところ前の職場で相方とやってきたこととかなり違ってて、これはいかんみたいな感じに思っちゃいました。所変わればお年寄りのニーズも違うし、スタッフさんの価値観も違うから、それが正しかったのかもしれませんが…。昔ながらのイメージのまま過ぎて「え?今更そんな感じ?」ってのが初年度の感想。デイサービスでやってきたという自信から、どこか奢っていた部分は否めません…。人間、そこですよね。謙虚が一番ですね(^^)

まぁ、2年目、3年目になって人も入れ替わり、おもしろいスタッフとの出会いで変わってきたとこもありますが、それはまたデイサービスの章で書きたいと思います。

 

シッパイマン

一年目は、とにかく失敗しまくりでした(^^)

最初にやらかしたのは、担当したお年寄りの手続きで抜けてた書類があり、お金面でのトラブルという…。今でも鮮明に覚えてます。

介護保険サービスを利用すると、原則はその1割(この3年後からは2割の人も)を自己負担し、残り9割は介護保険から出る仕組みなんですが、それには最初にいくつかの書類を市町村に出すんですね。もちろん、それもケアマネの仕事です。

ややこしいのは、介護認定が出る前に先にサービスを使う場合。認定が出てからが原則なんですが、役所も忙しく半月〜1ヶ月以上遅れることもザラ。相手はお年寄りです。

そこまで待てないケースも当然あり、見切りスタートもやむを得ない状況。しかし、認定が出たら役所に、"この人ケアマネつきました!サービス開始します"みたいな届けを出すんです。

人のせいにしちゃうとアレですが、そのこと聞いてなかったんですね。

で、まぁ、役所から問い合わせが来る。しかも、その人は住所地が他市だったもんやから、段取りが違うわけでして💦

つまり、届けをせずにサービスを使ってるという形になっちゃったんです。

役所から、一旦は10割分を支払ってもらい、後から9割分が返金になると。

本来なら介護サービス利用料として、実費負担が2万円ほどで済むところが、20万をこえる支払い…当然、ご家族はお怒りです。

請求書片手にめちゃくちゃ怒られました。そりゃそうですよね。で、その対応を自分でしなさいと。本人、家族、そしてサービス事業所にも謝罪と説明。しかしながら、まだまだ仕組みを理解してないままでの説明ですから、何を言ってるのかもサッパリ分からず。

あれは嫌でしたね〜。それ以来、必ず最初に確認するようになりました(^^)

他にも訪問の約束を忘れたり、時間が何軒かカブってしまいバタバタしたり。

とにかくシッパイマンです。めっちゃ怒られまくりでした。一年目は、そんな感じで過ぎていきました。慣れていくと思いきや、ますます忙しくなってくるわけです✨

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*のどかな田園風景、空気はうまい!

 

紙飛行機

とまあ、いよいよスタートしました第3章✨

都会の事情を知り、田舎の事情も知る。

もしかしたら、今の事業所を明石でやってるのは、そのどちらもを見た上で、ちょうどその間ってのもあるのかもしれませんね。

とにもかくにも、あっとゆーまの1年。2年目からじわじわとおもしろくなるわけでございます。説明くさい内容になっちゃいましたがあしからず❕

とにかく、新しいトコへ飛び出したのです(^^)

 

団地の窓から 飛べ紙飛行機

メロン色若い空を 突きぬけてゆけ

 

夢の中でした 待ち合わせは今日

風にのりすきとおるよ ビー玉

 

グルグル回って 少しガマンして

忘れたフリをして 君の窓辺へ

 

揺れて乱れて紙飛行機

スーイ スーイ スーララ スイスララ

 

今日走ってゆく 今走ってゆく

明日とかわからないし 別にいい

 

よじれてねじれて 急旋回して

おつぎは急降下 君の窓辺へ

 

揺れて乱れて紙飛行機

スーイ スーイ スーララ スイスララ

(紙飛行機/ザ・クロマニヨンズ)

 

今回もありがとうございました😊

 

Too Late To Die

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前々回の記事はケアマネ資格をとったというお話でした。さぁ、ケママネになるぞ!!と言って都合よくその職種で働けるとは限りません。

まぁ、分かっていたことですが勤めていた会社の居宅介護部門(ケアマネ)にはすでにケアマネさんの席は満席だったのです…。

 

 【目次】

 

 

それぞれのタイミング

その時は絶対にケアマネになりたいとかでもなく会社に不満があるわけでもなく、むしろ好きにさせてもらってたので、しばらくはデイ相談員として日々を過ごします。

毎日は本当に楽しいんですが、社長との話や人材育成、社長の楽しそうな顔を見ていると「自分で何かをしてる人って生気がすごいな。どんな景色が見えてるんやろう?」という思いが強くなってくるのです。

それまでは、それを傍で見て、触れて、この会社を盛り上げていきたい、そこにやりがいを見出していたわけですが、徐々に自分のイメージする事業所を自分でもやってみたいという意識が芽生えてきます。そうなると、気持ちの変化と現状の間にある溝が広がってきてしまうわけですね。

いつのころからか、「このままでいいんかなぁ」から「この先へ行くためにはどうしたらいいんやろう」と思いだすわけです。すると、今の制度のしくみをもっと知らないといけないし、広い視野で見ないとあかんのちゃうかなと。ケアマネさんや上司とも話してると、先に行くためには、やっぱりケアマネの仕事をやっとくべきやなという方向に向き始めます。なんとなくその次のイメージが出てきてしまった時って、いいのか悪いのか「もっといろんな景色を見てみたい」という欲張りな自分が一番前にいるわけです。

今までのたかが二十数年の経験では、その時に興味を持ったものが、きっとその時の自分のしたいことなんだろうというのはなんとなく分かっていましたし、過去の経験から自分の中のタイミングには正直に行こうというのもありました。人から「まだ早いんちゃうか?」とか「よく考えてから」と言われたとしても…

すいません💦右から左でした。

どれだけありがたいアドバイスだったとしても、その時の本人には残らないです。

やっぱりタイミングって人によって違うし。

それに周囲の声とか、周りの雰囲気とか、人のタイミングで動いた時ってうまくいかないことが多い気がしません?

逆に自分のタイミングで動いた時のほうが色々とうまく連動するよーな。意識的か無意識的かわかりませんが。

ついついなんとなくでその場を凌ぐというか、やりたいことが見えてきた時にそれを押さえて惰性で過ごしてる時間はもったいないなと思っちゃいます。

ちょっと違う話かもですが、気の小さかった(今もですが!)中学生の頃は、自分の意見を通すより周りに合わせるのがいいんやろうなと思っている時期がありました。学校の教えとかもそうでしたし…。もちろん調和や協調性は大事だと思いますよ(^^)

でも、全てのことにそれをしてしまうのはちょっと違うのかな?自信ってのを削がれていくような気もしたり、やろうとしてたことが遠のいてしまったり、気持ちの面で。

私の場合はそれを否定とゆーか、「やりたいと思ったことはやりたいと思った時に行動したほうがいい」ということに気づかせてくれたのは音楽だったわけです。

結局、走ってこけて、膝をすりむいて初めて”痛い”って意味が自分で分かる。やっぱり自分の人生の当事者は自分でしかないので(^^)

てなわけで、次のコマへ進める時期にガッチリ入るのです。

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最後の年の花見(^^)芦屋あたりやったかと

 

それぞれの道へ

デイサービスでの相方…。その前の仕事場から知っている人。私より4つ年上ですが、ロック好きで夜勤の時はひたすら音楽の話をしてました(あ、もちろん仕事はちゃんとしてました)。そんな彼が私を誘ってくれ、二人でがむしゃらにデイサービスを盛り立ててきました。私に比べて学力がかな~り高く、冷静な視点をいつも持っていたので、いつもいろんな気づきをもらってました。彼とは、いわゆるツーカーのコンビで、お互い切磋琢磨しあってました。たまに意見が食い違うこともたまにありましたが、最終的には「こいつが言うなら信じてみよう」ってさせてくれる人でした。

一応、コンビとはいえリーダーだった彼は、事が起きると矢面に立って解決に乗り出してくれてたし、現場の声をしっかり上司に掛け合ったり、逆に現場のみんなの士気を落とすことなく納得させたり、すごいやつでしたね~。

よく帰りに飲みに行くことも多かったですが、それ以上に楽しかったのはラーメン散策。

二人で”ラーメン同好会”を結成し、神戸、芦屋、西宮のいろんなラーメン屋巡りをしていました。あの界隈はラーメン屋が多いので、何十軒回ったことか(笑)。

ちなみに二人の一押しは、仁川にある「宮っ子ラーメン」ですm(__)m

ラーメンをすすったあとにカフェに行ったり周辺をウロウロしては、デイサービスで行く外出先を検索したり、「こんなことしたい」「あんなことやってみよう」と夢をよく語り合ってました。まぁ、最後は音楽の話になってるんですけどね💦

それまでの私は、仕事とプライベートという面において、職場の仲間とはどちらかというと友達、プライベートの側面が強かったと思うのですが、彼は今までの友達とはまた違う関係性があった。うまく言えないんですが、仕事という場面で同じ温度で生息することの楽しさというか価値観を共有できる人がいることの素晴らしさを初めて教えてもらった相手でした。

 

よく言うんですけどね、仕事って”何をするか”も大切ですが、それ以上に”誰とやるか”ってのが大切なんですよね。

 

そんな彼に自分のこの先を話してみるのです。ずっと一緒にやっていくのが楽しいしやりがいが持てるのは分かってるけど、もっと進みたいということを伝えると、実は彼も同じだったのです。なるほど!

そしてそれぞれの道へ進むことに…。(彼の方が一足先に退職したんですけどね)

つかお互いが大きくなって、その時にできそうなことが合致してたら、一緒に何かやろうや!!」と。

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西宮えべっさんにて

 

転職活動~新たな出会い~

最初の職場は学校に案内が来たやつを軽い気持ちで受けてみた感じでした。その次は声がかかって転職という形でした。しかし、今回は最初から自分で探すんですよね。とりあえずハローワークに通ってみたり、ネットの求人を見てみたり。で、下見がてら見学に行ったり(7か所くらいかな)。でも、なかなかピンとくるのはなく…。福祉分野というのは分かってたので、職場近くにある福祉人材センターに登録をしてみます。

そこで、”福祉の就職フェア”というもんがあるということを初めて知ります。近いうちにそのイベントがあったので、とりあえず行ってみようと。

11月でけっこう寒い日でした。50~60くらいの事業所さんがいましたね。もっとこじんまりとしたイメージだったので、少し驚きました。

入り口からすでに事業所の人達が目をぎらつかせて福祉を志している人や、とりあえず職探し的な人をとっかえひっかえ勧誘してます。私の中では「ケアマネ募集」を掲げている事業所しか考えていなかったのですが、なんと2カ所だけやったんですよね。なので、ちょっと軽い感じで話しかけてくる人だったり、めっちゃ綺麗なお姉さんに声をかけられても「間に合ってま~す」と交わします。

 その中の一人、同年代くらいのサワヤカな男とふと目が合って互いにアイコンタクトを。パンフレットエリアでいくつかの事業所のパンフレットをとり、そのブースを探します。すると、先程の男とまたまた出くわすんですね。何度かそんなことがあり、向こうから「今日はよく会いますね」とサワヤカな笑顔を振りまいてくるもんですから、自然と話をするんですね。いい雰囲気出してる人やなぁと思っていましたが、話を聞いているとそのケアマネ募集をしてる事業所がその人の事業所だったという。

ブースへ連れてってもらうと、上司と思しき二人の女性がおりまして、いろいろと話をします。職場はなんと加西市…。地形でいうと、地元である加古川市の北西部に位置します。田舎であるということは知っていましたが行ったことはなくて、いまいちよく分からないところ…。

でも、実はその加西市が父親の生まれの地ということもあったので、これは何か縁があるのかなという気になってきてしまうわけですよね。

それに、ケアマネは、あくまで自分が次に進むステップの一つだと思ってましたので、特段場所にこだわりはありませんでした。

「ケアマネの仕事ができりゃええか」と。その場でスラスラと自分のイメージする事業所とか、こんなことがしたい、あんなことがしたいみたいな話をかなりしたように思います。さらっと見学の日程をその場で決めて行くことになりました。

それに、この男と一緒にやってみるのもおもしろいかなという直感も。

事実、彼とは今も続くかなりの戦友になっていくわけです。

というか、何を隠そう、この男こそ後に私が事業を立ち上げるにあたっての絶大な協力者の一人であり、今の事業所名(みちくさ本舗)が決まった瞬間に一緒にいたやつですからね。いろんな縁を繋いでくれる人物です。

たぶん、その時はその事業所がどうのこうのより、おもしろいやつと一緒に仕事ができるかもしれないという、それだけでわくわくしていたと思います。

 

そうして、また次に出発するのでした。

 

 

 

そうだオレはブリキのコインだ

レートのないブリキのコインだ

Too Late To Die ペテン師の

Too Late To Die 遺伝子を

Too Late To Die バラまく

Too Late To Die

 

長い髪をよそいきのリボンで

黄金さえかすんで見えるぜ

Too Late To Die 海岸まで

Too Late To Die 難破船を

Too Late To Die さがしに

Too Late To Die

 

降りるはずの 駅はうしろ

泊まるべき港をはなれてく

Too Late To Die…

 

まことにもってかたじけない

拙者まるでだらしがない

Too Late To Die まわる

Too Late To Die 何時間も

Too Late To Die エンドロール

Too Late To Die…

 

降りるはずの 駅はうしろ
泊まるべき港をはなれてく
Too Late To Die…


Too Late To Die…

  (Too Late To Die/ザ・ハイロウズ

 

今回もありがとうございました😊

 

岡本君

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6月15日の空

今週のお題「お父さん」

父の日…。

母の日に比べてやっぱりインパクトに欠ける父の日。

今は私も2児の父なわけですが、子供らが幼稚園までは何かくれてたなぁ~。

絵を描いてくれたり何かしら手作りのものを。

「ん??コレ何に使うん??」

みたいなものもありましたが、やっぱり嬉しいから使えそうで使えないんですよね。

たぶん、私もそれくらいの頃は父の日には幼稚園とかで作った何かをあげてたんでしょうけど、全く覚えていません。しかし、毎年私にとってはその少し前の6月15日が父の日なのです。ということで、今回は父親のお話。

 

【目次】

 

 

手巻き寿司

我が家は、父、母、私、弟2人の5人家族。父は、電気関係の設計をする仕事をしてました。決して裕福ではなかったですが、食いっぱぐれることもなく平平凡凡とした家庭でした。

父は私達が住んでいる場所より少し北に位置する田舎生まれ田舎育ち。

のんびりした場所ではありましたが、一歩歩けば「◯◯の、△△の家の□□やな」みたいな、若かりし頃は閉鎖的な村社会にうんざりしていたそうです。早くに父親(祖父)をなくし、母親(祖母)と兄(叔父上)の3人暮らしで、なかなか貧しい家庭だったと。経済的に、いろんなことを我慢してきた子供時代だったようで、それもあってか、厳しい人でした。贅沢というところには特に。

それに加えていろんな場面で”父親絶対”みたいなところありました。

今考えると「古き良き時代の父親像」という意味では分からないでもないですが

夏といえば、いつもステテコ姿で巨人戦の野球中継を見ながらビールを飲む感じの、まさに昭和。怒られたときには外に放り出されるかゲンコツくらうか…。

私達兄弟はビビってました(^^)

ビールとマグロの刺身とポテトチップス(うすしおに限る)が大好物でしたね。

たまに、夕飯のときに、父だけ晩酌用の刺身があるんですが、子供たちがもらえるのは刺身の下にある大根!!ちょっと生臭いあの大根です…。

大人ってずっこいなぁ」と本気で思ってました。まぁ、おいしかったですけど(^^)

ある時、父がトイレに立ったタイミングでこっそり一切れ食べて、あとでめちゃくちゃ怒られたのを覚えています💦

そして、刺身といえば、我が家には年に何回か日曜日に手巻き寿司がありました。小さいころはワイワイ楽しいだけだったけど、男兄弟ですから、徐々に食べる量も多くなるわけですよね。

いやしい私は、滅多にないチャンスとここぞとばかりに刺身をてんこ盛りに食べてましたが、めちゃくちゃ怒鳴られて一気に食卓のムードが悪くなるわけです。

それを分かっていても、懲りない私はそれを繰り返しました(笑)

始まりはいい感じなのに、途中から最悪のムードになるという我が家の手巻き寿司イベント…。ついには、我が家の食卓から消えてしまうという……。

 

秘密基地

私が小学校低学年の頃、父は独立して会社を立ち上げるのです。バブルの時代だっただけに、個人でも全然食べていけるくらいの稼ぎだったようです、たぶん。

家から少し離れた事務所。ビルの中の2階にある12~13畳くらいの部屋にトイレ、台所スペースがあるくらいの小さい会社。

よく徹夜してた頃もありましたが、徹夜明けに事務所に遊びに行ったりすることがときどきありました。

外に事務所の看板(各階の案内的な?)があって、そこに会社名が書いてあるんですが、なんか「おーっ!名前書いてある!」と子供ながら何か尊敬の念というか(笑)

子供が行っても楽しいようなものは何もないんですけどね、家にはないような物がいっぱいあったので妙にわくわくしてたのを覚えています。私たちが遊びに行くと、家の顔とは違う父の顔。どこか嬉しそうというか、「どうや、自分の城やぞ」みたいな誇らし気な顔だったのを何となく覚えています。秘密基地みたいやなぁと思っていました。

今自分で事務所借りて自分でやっているのも、その頃のイメージが強かったのもあかも。事業云々より、「自分の城」にあこがれを抱いていたのかもしれません(笑)。

しかし、時代の流れは厳しく、パソコンでの仕事が主流になってきたので、手書きで製図していた父の会社は徐々に経営は難しくなります。仕事が少なくなり前にもましてイライラしている姿が見られるようになりました。負けず嫌いの性格の父は必死でパソコンの勉強もしていましたが、それよりも速い時代に乗れず…。

かといって育ちざかりの男3人がいるわけなので、背に腹は代えられず、ついには会社をたたむことになるわけです。

その頃は私たちは何も分からないので「秘密基地を壊されるみたいで寂しいな」程度。

でも、もし今の自分がその状況になったとしたら、どうやろう??

自分の城から少しずつものがなくなっていくわけですよね。
楽しかった頃、苦しかった頃、いいことも悪いことも含めた何年もの思い出がそこにあって、それを自分の手で終わらせていくわけですよね。

最後にドアを閉めて鍵をかけた瞬間はどんな思いだったんやろう…。

今ならそれを、ちゃんと聞けるような気がするけど。

 

手紙

何度も記事に書いているように、中2でギターを弾き始めたわけですが、昭和のガンコおやじは、「バンド=不良」みたいな概念を持っていたので、買った時はまたまた小言が続きました。でもね、初めてロックってもんに興味を持ち始めた時に、古いカセットテープでビートルズを聞かせてくれたのは紛れもない父親なのです。自分も昔アコースティックギター持ってたくせに(^^)

でも、その頃はいわゆる反抗期だったので口も聞かずだったんですけどね。今だったら

「どんな音楽聴いてたん?」とかもっと話せると思う。

しばらくそんな時期が続いたんですけど、15歳になった誕生日の朝、枕元に3枚綴りの手紙が置いてあったんですよね。

そこには、”ギター楽しいか?せっかく自分で買ったもんや、大事にしいや。わしらの頃は、そんな高級なもの買われへんかったから今のお前らが羨ましい。学校はおもろいか?友達とはどんな話しとるんや?自分の人生やから、好きなことするんもええけど、勉強もおろそかにしたらあかんぞ。あとは、弟たちの面倒も見たってくれよ…(略)”

そして、最後に

”うっとーしい父親やけど、これからもよろしく頼むわ”

たぶん、生まれて初めてもらいました。ちょっと感動もしましたけど、思春期の少年は素直にありがとうとは言えませんでしたね〜。

あ、でもお酒で酔ってたんでしょう、最後のほうは字が崩れてきていました(笑)

どこにでもあるようなキャンパスノートを切り取り、何の変哲もない黒のボールペンで書かれたその手紙が、特別なものになりました。今はもう紙は色あせて、インクがにじんでいる部分もありますが、最初で最後の父からの手紙…実は今でも置いています。

ありがとう❕

 

窓ガラス

私が高校生の頃の話。真ん中の弟が、そりゃあもうヤンチャ真っ盛り。毎日家の中で怒鳴り声が響いていました。ある夜、私が部屋でギターを弾いてたら、何がきっかけかは分からないけど、父と弟が怒鳴りあいのつかみあいになってて、「ガチャン!!」と聞こえ、母に呼ばれます。勢いで台所の窓ガラスが割れてたんですね。

二人とも興奮してましたので、2、3発はくらうかなと思いながら間に入り、何とかやめさせました。弟は外に飛び出し、父親はお酒のせいもあってか呼吸があらかった。

「あんなやつ放っとけ❕」

と言いつつ、しばらくしたら

「おい、お前ちょっとアイツ見てきたってくれ」と。

まぁ、こういう時に行くところなんて近所の公園しかないのでそこへ行って少し話をしました。めずらしく兄らしく⁉️(笑)

父もちょうど会社を閉めて、やりたくもない新しい仕事をやってるものの、うまいこと行かず、イライラしてた時期だったので、あなたの気持ちも分かるけど、ちょっとそのへんの気持ちも汲んでやろうやみたいな話をしたような…??

でも、そのときに率直に感じたのは「おとん、力弱くなったなぁ」でした。

こどもの頃のあのゲンコツが懐かしくもあり、なんとなく寂しくもありました。

 

居酒屋

私が六甲道に一人暮らしをするようになり、顔を合わすことはほとんどなくなりました。帰っても、そんなに話をするわけでもなく。

一時期、例の弟が訳あって私のアパートでしばらく生活してました。

父親は三宮で仕事をするようになってて、まぁ、三宮から2駅と近いっちゃあ近い。

ある夜に電話がかかってきました。

「3人で飯でも行かへんか?」

電話なんて、たぶん初めてかかってきたと思う。ちょうど父が携帯電話を持つようになったからそういうきっかけにもなったのかな。

六甲道まで来てくれて、3人で家の近くの焼き鳥屋さんに行きました。父と私はビール飲みましたが、弟は未成年だったので、建前上ノンアルコール(笑)。

仕事のこと、世の中の動きのこと…かな。他には何の話をしてたのかあんまり覚えていないけど、予想以上に父親が話をしていましたね。しかも、珍しくゆるんだ表情で(笑)もしかしたら、社会人になった私のことを少しだけ一人前に見てくれたのかもしれませんし、それなりの年齢になった息子たちとの時間を楽しんでたのだろうと思います。

実際、初めて父親と外で飲みましたからね~。ウチの父は外食が好きではない人だったのですが、帰り際に「こういうのが夢やった」と言ってました。

私もとにかく楽しい時間だったことだけは覚えています。

というか、三人で行ったのは、本当に子供の頃ぶりでしたし♪

あんまりその次にお酒を一緒に飲んだのは覚えている範囲では自宅と、おばあちゃんのお通夜の時でした。そのときは、親戚もいたので居酒屋で話したような雰囲気ではありませんでした。それから私も仕事にバンドにと忙しく、なかなか帰ることもなかった。

そして、ある時にも「今日何しとんや?暇やったら一緒に飯行かんか?」と声をかけてくれるのですが、ちょうど仕事場の友人らと飲みに行く約束をしてたので断りました。

また近いうちにと約束しましたが、その日がやってくることはありませんでした。

私が23歳の時の6月15日、仕事中に事務所に呼び出されます。

「弟さんから電話です」

「え?ほんまですか?弟??」と何かの冗談かと思い電話に出たら、暗い声で

「おとん死んでもた…今から帰ってこれん?」

状況が分からず職場のみんなが言うままにとりあえず早退させてもらうことにしました。

近くまで車で迎えに来てくれた弟と一緒に病院へ向かいましたが、諸々のことが終わり、もう病院から家に戻るとこでした。半年以上ぶりの再会がまさかのこんな形。

死因は心房疾患、いわゆる心臓の病気。

もともと何か持っていたわけではなかったですが、ある日の朝仕事に出て、駅まで歩いて向かったたものの暑さとだるさで途中で引き返してきたそうです。

シャワーを浴び「ちょっと横になってから行くから、駅まで送ってほしい」と母に言い、居間でいつもとは違うようなイビキをかいて寝たそうです。

ちょっとおかしいと思った母が起こそうとするも起きず…。結局そのまま。

そして家に帰って来るわけですが、家族全員、突然訪れた事実を受け容れる状況ではなかったと思います。

明日の朝起きたら全部夢やったんちゃうかと、「これはもう夢やろう」と思いましたが、やっぱり違いました💦

 

 

後悔先に立たず

たいていの過ぎたことはあんまり後悔しないタイプなんですが、父との飲みの約束を蹴ってしまったことだけは、自分の人生において、たぶん一番の後悔だったと思います。

飲みの誘いの電話がちょうど亡くなる2か月くらい前の春先でしたし、それから実家に帰ってもなかったので電話とはいえ、最後に話したのがそれ。

たぶん、その時からかな。”今”を大事にしようと思ったのは。やっぱり、その時はその時しかないんですよね。今日は二度と戻ってこない。だから、全ての出会いだったり、身の回りに起きたこと、毎日の中のどんな他愛のない出来事も一度きり(一期一会)。けど、その全てのおかげで今の自分があるわけです。悪いこともいいことも全部、起こるべくして起きる。起きた後に自分がどうするかが大切なんですよね、たぶん。失うものがあればこそ、得るものが必ずあるんだと思います。

いろいろありましたがこれをきっかけに残された家族の仲はグッと近づいたと思う。四十九日が過ぎた頃に、兄弟3人でキャンプ場にバーベキューしに遊びに行ったんですけどね、それも子供の頃ぶり。

その道中は3人で父の思い出とかを話して、私達なりにいろいろ整理をつけてたのかも。

おとんが伝えたかったこと、たぶん私たちにはなんとなく伝わってるし、間違いなくその遺伝子は受け継がれている(笑)

実際、その数年後に弟が会社を立ち上げ、それが私が今の事業をするにあたっての起爆剤であり、外せないパートナーにもなってるわけですからね。その下の弟も、自分のやりたいことを形にすべく毎日頑張ってる。今、我が家の男ばっかりであの焼き鳥屋に行ったら、どんな話をするんやろう??

仕事の話、家族の話、人生の話…。

孫も6人いるわけやし、きっと話は尽きないと思います(^^)

とにかく毎日を精一杯生きて、やりたいようにやって話のネタをてんこ盛りにしときます✨

いつかそっち行った時に胸張って話ができるように。

 

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お供え物が弟とかぶるという…

岡本君 また夏が来た

去年よりも 暑くなりそうだ

熱気の中 押しつぶされた

歩道橋で 君を思い出す

 

誰もいない廃車置き場で

水たまりの中 百円拾った

スパイごっこ アイスキャンディー

突然のひどい雨

 

岡本君 君がいない

夏はまるでぬけがらのようだ

 

カブトムシをとりに行った

恐竜のことを話しながら

君のように見える人は

誰もいないだろう

 

岡本君 本当のお別れだ

またねじゃない 本当のサヨナラだ

  (岡本君/ザ・ハイロウズ)

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今回は仕事の話からそれたけど、まぁ、父の日ということで(^^)

ありがとうございました😊

そうか、そうだ

記事で、よく写真を載せてますが、デイサービスで働いてた時期の写真は、カメラが趣味の利用者さんがいて、いつもその方がみんなを写してくれてたんです。みんなで写る写真と、「いつか大事になるから」と必ず写してくれてた個人の写真(^^)

そのうち、私のスペシャルな出会い集とでも題して印象的な人、エピソードを紹介したいなぁと思います♪

 

【目次】

 

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また一歩進むタイミング

六甲道のデイサービスで働かせていただくようになり3年が過ぎました。

利用人数は増え、どの曜日も定員ギリギリくらいと、いい感じでした。

職位である生活相談員としてもケアマネさん達との信頼関係も少なからず積み上がってて、自分の中では最高の時期に入ってたのかもしれません。

社内においても、よくしていただき、仕事の面でも任せていただけることも多くなりました。収入面では当時のデイサービスの中ではかなりよかったんじゃないかと思います。
ここの会社の社長は利益はしっかり分配してくださっていたので、安定した生活を得るには申し分ない環境だったと思います。実際、満足している自分もいましたし。
だけど同時に「あれ?このままでいいんかなぁ??」と思い始めるわけです。

社長からも、よく「男は自分の城を持たなあかん」と言われていたこともあり、自分なりにも「いつかは何かやりたいなぁ」と感じながらも、何か具体的な感じがあったわけではなかったので、まだまだフラリフラリしてました。

とにかくいろんな経験しながら、深くやっていったら見えてくるかなぁくらいの。

その中で、じゃあ次はどうするのがええんやろうか?と考え、順当に行くなら直接現場ではないポジションの経験かなとは思ってました。

前職では入居施設でした。基本的には狭い世界。しかし、今は通所施設という在宅介護ありきのサービス。でも、その中でデイサービスとしてできることは一部ですし、何よりサービスにつながるまでは待つ側。

介護保険においては、お年寄りとサービス事業者(人と人)をつないでいく役割はたいがいはケマネージャーさんの職務になるんです。

ケアマネの仕事については、またのちほど。

大まかに説明すると、利用者さんにとって有力な情報の収集、その人にあったサービスの提案、調整、そして事業所さん選びとか。いわゆるコーディネーターさん。

サービス提供事業者(直接介護の現場)としては、利用者さんを紹介してもらえるに越したことはありません。それに、私たちの基本スタンスとしてはどんな人でもいったんは受け容れるつもりでスタンバイしてました。

でも、中にはいい加減なケアマネさんもいるわけですね。「とりあえずどこかサービスつなげとこうか」みたいな。

かなり家庭内がぐちゃぐちゃになってるのに、肝心なところには触れずにこっちに丸投げみたいな人も…残念ながらいるわけです。

選ぶ理由も「家から近いところ」「空きがあるとこ」とかね。

たまに、「え?今この人デイサービスのタイミングか??」と思ったり、「家の中のことを解決せな何も変わらんのちゃうんかな??」と感じることもありました。

もちろん、事業所としていろいろ投げかけるし、気づいたことは報告してましたけど、すぐに対応してくれるケアマネさんもいれば、先延ばしにされるケースもありました。

たしかに、忙しいっちゃ忙しいとは思いますけど、優先順位間違ってない??みたいなのも。結果、在宅生活が送れなくなっちゃった人もたくさんいましたしね。もちろん、ケアマネのせいとかそういうんじゃないんですが、「なんかなぁ~、自分やったらこうするかなぁ」と思ったり。

事業所の数は増えてて、選択肢はたくさんあります。評判のよしあしももちろんあります。

でも、結局はそこがその人にとってどうなのか、ニーズに合ってるのか(手は両手で初めて鳴る)ってのをしっかり押さえていないと意味がないし、ジャッジするわけではないけど”その人に合ったいい事業所”を嗅ぎ分けれないとあかんなってこと。そのためには、もっと制度の仕組みを理解しとかないといけないなと。

デイサービスでいろんな人を見てきて、話も聞いてきただけに、なんとなく、その人にとって必要なものってのが分かるようになりつつってのもありました。

「ちょっとそういうのやってみるのもおもしろそうやな」って思い始めました。

それに、会社内には居宅介護支援(ケアマネ)事業も併設してたので、これはもう次のステップにはもってこいやなと。

ちょうど、現場仕事始めて5年経験したからケアマネの試験も受けれる時期でしたしね。

感覚的に自分の中ではトントンと進みだしたのかな。

周りの同期の人達にも聞いてみたらみんな受けると!!みんな、ちゃんと考えてるなぁって。それまでの私の場合は、資格に特にこだわりとかはなかったですが、おもしろそうなその職種になるためにはやはり避けて通れないし…て感じでした。とりあえず試験対策をしないといけないわけでした。

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デイでの外出先の酒蔵にてマスター気取りの1枚♪

 

いざ、試験に向けて

ケアマネの試験って一年に一回(10月か11月やったかな?)なので、まぁ落ちたら一年持ち越しなわけです。しかも、噂では来年以降は難しくなるらしく…。

そうなると、性格的に「もういいかな~」と思ってしまうタイプなので、なんとか一回で終わらせたい❕

てなわけで、休みの日に三宮の紀伊国屋書店に向かいます。狭いエスカレーターで専門書のフロアへ。あそこは図書館じゃないのに静かにしてねオーラすごくないですか?逆に「どうぞ、静かな環境なので、ガンガン立ち読みしてください!」って言われてるみたいですよね。まぁ、有難いけど。

昔からあの新刊が綺麗に積みあがってる光景と、新しい本のにおい、好きですね。

ケアマネの試験対策の本なんて、そんなにないやろうなと思い本屋の”介護・看護コーナー”へ行くと、時期が時期だけにめっちゃ置いてあるんですよね。見過ぎても迷うので、中身を見ずに「これで一発合格!!」みたいな帯がついているから、中身見てもよう分からんしもうこれでええかと。

そして、そのまま帰らず地下の「HMV(CD屋さん)」へと急ぐのでした。

余談ですが、レコード屋さんって何時間でも過ごせます。飽きないですね。自分の中のルールがあって、お店に入ったらだいたい2枚は買うてもOKとゆー。

最初から欲しいものは絶対買うけど、そーゆーのなくても、ジャンルごとの店員さんのおススメコーナーは必ず足を止めてコメントを読むし、視聴する。で、気になったやつを1枚は手にする。そして、2枚目はウロウロして輸入盤をジャケ買い(表紙だけ見てかっこよさそうなもの選ぶ)ですね。当たりはずれもあるけど、輸入盤のCDは若干安いので。

実に本屋の滞在時間は10分、HMVは2時間くらいいました。さらにその後はかならずタワーレコードと、開いてたら中古のCD屋さんも行くんですけどね。

神戸にいる時は休日に買い物に行くと、レコード屋さんと楽器屋さん巡りでだいたい半日は過ぎます。そのあとは三宮、元町の高架下をぶらぶらしたり、トアロードのほうへ服を見に行ったり浜側のお店を回ったり。いつか神戸のブラブラ日記とか書きたいなぁと思います♪

じっくり買い物したいときは絶対一人で行く人ですね~。自分の時間なので、行きたいとこだけを行きたいタイミングで、何回も行ったり来たりしたいし…。人の買い物についていくのは嫌いじゃないけど、デートとかでも自分の買い物したいときは、現地で別行動で、「じゃあ何時にどこ集合で」でしたから。

で、まぁその試験の本を買ってからしばらくは袋から出すこともなく…。

なんかね、昔から参考書とかは買った時点で「よっしゃ、もう大丈夫!」って合格した気になっちゃうんです。

で、秋に入り受験するみんながめっちゃ勉強してるんで、ちょっと焦るんです。しかも、私がええかげんに買った本ではなく、分厚いのを4冊くらい!!それがケアマネの勉強の基礎らしく、ほぼその中から出題されているという…。早く聞いておくべきでした。

同期の一人が、塾というか、試験対策の特別講習に行ってて、そこで勉強してきたところを夜にデイサービスのフロアで教えてもらうんですよね、こっちはタダで。

学生の頃のテスト勉強みたいでちょっと楽しかったなぁ。高校の頃とかは、ツレと図書館に勉強しに行きましたけど、あの静かなんがダメで…。間違いなくいつもウロウロして遊ぶほうのグループでしたね。

基本スロースターターでしたので💦

 

介護福祉士の筆記試験もそうでしたが、マークシート方式なんですが、10の回答から正解を3つ選ぶとか、間違いを4つ選べ的な。

引っかけが多い似たような文章なんですよね、あーゆーのは。つまり、設問となる制度の意味を分かってないと選べないんですよね。

あとは、言葉の意味とゆーか言葉の表現とゆーか、日本語の言い回しで全く意味が違ってたりとか…やらしーですよね(^^)

ニホンゴ、ムズカシイ

毎日、上司や同僚にめっちゃ教えてもらいました。言葉だけで理解できなかったやつは、丁寧に図で説明してくれたり、かなり助けていただきました‼️

 

そして本番…

その年の試験会場は、かの神戸大学のキャンパスでした。おそらく、私の人生においてよほどの何かがない限り、あの門を2度とくぐることはないでしょう(笑)

道行く学生の皆さんのさわやか且つ頭の良さそうな輝かしいオーラ。

学問の神様の菅原道真を祀った天神さん並のパワースポットじゃなかろうか

ありがたい流れに乗って、なんとなくイケると思っちゃいました。

それに大学って講堂も広いんですね。

男性、女性で部屋は分けられてたんですが、一部屋にかなりの人がいましたよ。大学って、あんな感じなんですね✨

そして試験を終え、後日通知がきます。

めでたく合格致しました💮

 

お墨付き

しかし、まぁ、そこからが始まりというか資格を手にするまでに研修がたくさん待ち構えてるわけですね…。

研修は講師の講義を聞く座学と、グループ演習が主でした。内容は法律や制度の話、ケアマネの倫理観の話、事例検討など。いろんな肩書きの講師さんが来られてました。中にはわかりやすく話してくださった講師さんもいたのですが、そーゆー方ってすごいなぁと。同じ内容でも、伝わり方はこうも違うんやなと。

何がかな?と思ってましたが、やっぱり

話が上手い人って、キャッチボールをたくさんするんですよね、いろんな人と。

だから、同じボールを投げるにしろ、投げ方やスピードを相手によって変えることができるし、たまにユニークなボールを投げれたり、どんな返球にも対応できるようになるんかなぁと思いました。

これって、私の仕事にとってもかなり重要なこと。やっぱり、人は人と出会うことで成長する。だから、少々心配があったり、たまにめんどくさいことがあっても、私は新しい出会いは大切にしていきたいですね。結局、人が変わるきっかけって、実在であれ二次元であれ過去の人であれ、誰かとの出会いしかないのかなと思います(^^)

そこは、たぶん世の中がどれだけ便利になって、いろんなものが進歩しても変わらないとこなんかなと思います。

だから、やっぱり大事にしたいですね。

約半年の研修を終え、無事にケアマネの資格をいただくわけですが、いろんな状況が重なって予想とは違う角度になってくるんですね。

 

進歩したのか 進化したのか

本当なのか ウソじゃないのか

そうか そうだ

 

あっちへフラリ こっちへフラリ

不安定だから 楽しいじゃないか

そうか そうだ

 

活字なんかより 行政なんかより

宝石なんかより 俺のほうが正しい

そうか そうだ

 

天気雨が降る キラキラ光る

あーなんだそうか 幻じゃないぜ

そうか そうだ

 

ババァなんかより哲学なんかより

苦しみなんかより俺のほうが正しい

そうか そうだ

   (そうか、そうだ/ザ・ハイロウズ)

今回もありがとうございました😊

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天気雨(^^)何が起きるか分かりませんね〜

 

不死身のエレキマン

前回はけっこう真面目な話だったように思います(笑)

今回はまたちょっと話がそれる感じですが…。まぁ、バンド再始動から気づいたことですかね。

 

 

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再挑戦

その頃は、以前の記事で書いたようにバンドは解散してて、一年くらいはバンドというものから距離をとっていました。

たぶん、

「自分にとってバンドっていったい何なんやろ?」と考える時期やったんかなと。

ギターもあまり弾かない日が続いていたと思います。なんとなく家で一人で弾いて楽しむってのは、その時はちょっと違ってて。

結局、バンドという苗字というか肩書?の中でのギターがいいんです。

壁当てやキャッチボールがしたいんじゃなくて、野球がしたい!」みたいな感じです。

同じようで全く違うのです。バンドがない状態の時は、なんかポッカリ開いた感覚。それを仕事に没頭することで必死に埋めようとしてたのかもしれませんね。

もしかすると、それが大人になることなのかなとも思いました。でも、まぁ、そーゆーのは嫌やって思う自分が逆襲してくるわけです。

手前みそな話、なかなか見所と伸び代があるバンドだったと思ってましたので。

当時は曲にもちょっと自信があったし、メンバーにも自信がありました。それだけに結果とか、自分の感じたこととかを確信に変えたいという変なこだわり?自己主張?が先走って、いつしか過信に変わってました。

そして、足並みがずれていってたのに気づかず、メンバー間がギクシャクし始めたんですよね。まぁ、後から考えたらあれはあれで勉強になったんですが、後に活かしてこそ勉強ですよね。"辞めた=放棄"状態なままだったので、

「何を勝手に終わった気になってんねん」と常に問われてたのかも…。

解散してからは意識的か無意識か、バンドの話には誰も触れずにいつも何かが足りないようなチャーシュー麺のチャーシュー抜き状態

でも、もう一匹の自分が前の失敗を思い起こさせるわけです。

「今が円満で楽しいんならそれでええんちゃうか?」「いやいやいや…」

自問自答のモヤモヤが続きましたが、気づいたら沸沸に変わってたというか。

そう思いだすと強引に動き出してしまうんですね~。そうなると、「みんなをその気にさせるにはどうしたらいいんかな?」と考えながら、とりあえずネタ(曲)を作るわけです。自分達をつなぐものはコレですし、第一に口だけでは動かせないとも思ってましたし。

それからメンバー人ずつに今の自分の気持ちをぶつけていくわけです(^^)

 

それぞれにタイミングや言い方は違っても、伝えたかったのは

”自分達はこんなとこで何をしてるんやと。やりたいことがあって、できるメンツが目の前にいるのにやらないのは、やっぱりもったいない。ダラダラと時間を過ごして、いつのまにかおっさんになって、「あの時はああやったな~」「なつかしいな~」とか思い出話に浸るようなんは嫌じゃない?もっと、あがいてもいいと思う。でも、プロを目指すとかじゃなく、単純に自分達がカッコいいと思う音楽を好きなようにやりたい”

でした。

前が前だけに、みんなその場ですぐの返事ではありませんでしたが、それぞれ翌日には返事をもらいます。やっぱりみんなやりたかったんですよね。

満場一致で活動開始✨再結成

コンセプトは「カッコいいバンド」とだけ打ち出し、カッコいいと感じるものはそれぞれ違いますからね。なので、みんなのOKサインが出て初めて進むのですが、それを誰かが舵を取ろうとなりましたので、とりあえず自分がやると言います。

…まぁ、言い出しっぺやし。

まずはバンド名からです。前のバンドの名前(THE BANK ROBBERS)は私が決めちゃったのですが、今回はそれぞれ言葉を持ちよりパズルのように組み合わせながら響きがいいのにしようと。

一晩中考えてできたのが、”Hervie Lotus '72 Rodges"という名前。

曲は私とベース君が、コツコツ作り溜めてたのがありましたのでそれを。

久々にスタジオで音を出した時は、もう全員はっちゃけてました(^^)

やっぱり、これだねって空気でしたね。

 

それからは、曲を作ってライブしての繰り返し。毎回「今日のライブを楽しもう❕」でした。今までと変わらない流れでバンドを進めていくわけですが、変わったことは、余計なことは考えず、"ただ好きなことを好きなヤツらと好きなようにやる"

という同じ目標、コンセプトをみんなで共有できるようになったこと。

そして、それぞれのキャラ、パートで役割を作る。

ドラムはドラムとしてどっしりと屋台の土台を固める、エンジェルスマイルでバンドメンバーを後ろから見守る(笑)

ベースは、屋台骨、リズムとかバンドのテンションを支える、芯みたいな。

ボーカルは、もうバンドの顔やから、歌唱力より勢いでライブや曲の輪郭を作る。

ギターはその横で曲が色鮮やかになるように、ちょっと尖った音でガヤガヤしとく。このバンドのアイコン的な(笑)

ってとこかな。

それぞれが自分の役割を全うして成り立つ。

チームって、そんな感じかなと思います。

お互いが"できない"をカバーし合うんじゃなくて、それぞれが役割を理解した上で好きなことに突き進んでく。その先でたまに重なる瞬間が楽しいんやなと(^^)

家の中で1人でギター弾いてても物足りないのはコレかな。バンドでないと味わえない感覚です。

やっと自分がやりたいことが分かった気がしました。答えは実に簡単なことだったんです。

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だいたい朝までミーティング(飲み)してライブハウスへ

 

不死身のエレキマン

さて、そんな感じでやっていくわけですが、私の中では一つの目標ができたのです。

それは、自分達で作ったものを育てていくという楽しみ。人の数だけ、バンドの数だけ楽しみ方はあります。数学みたいに、「こうしたらこうなる」みたいな、決まった正解がないわけですよね。

自分達が好きな音で自分達がカッコいいと思う曲を作り自分達がカッコいいと思うことやることで、自分達の正解を作っていけるという、まさに可能性(^^)

強いて言うなら正解は楽しめてるかどうか

たとえ、一度ダメやったとしてもいつでも何度でもやったらいいんやと思います。

やっぱり"好き"ってことが最高の原動力…。そのエネルギーは何より大きいし、強い。

私の場合は、生まれて初めて自発的にやりたいと思えたものが音楽でした。

だから、やっぱり好きなことや、やりたいことは放置してたら大変なことになるかもです(^^)

もし諦めたフリしてても、いつの日か違った形で自分に逆襲してきますよ‼️

 

"何歳になってもやりたいと思った時がやる時。みんな大なり小なりやりたいことがあるんやろうけど、それを実現するのに一人では難しかったりもするから、「どうせやっても…」ってなり始める。でも、本心は違う。そーゆー自分の中にある大切な気持ちを諦めそうになるなら、一緒にやってみよう"

とゆーのが私が福祉の仕事をする一つの鍵?理由だと気づきました。

そして、この感じが、音楽と福祉の共通点かもしれないなって思います。

音楽を通して手に入れたもの?もらったもの?

まぁ、色々ありすぎてまとまらないですが、とりあえず総じて言うなら

"ワクワクする瞬間を大切にしたら何かその先で変わるかもよ"

みたいなんを自分なりにアウトプットしていきたいと思いだしたのがこの頃かな(^^)

まだまだやりたいことに出会うまでは試行錯誤ですけどね♪

 

とにかく自分の感じた興味と好奇心は大事にしていこうと思います。

 

電気のトラブルで

生まれ変わったぜオレは

昼と夜をかきまぜて

朝まで踊れる男

 

何の時代だか

どんな時代だか

ガンコなロックで

朝まで踊れる男

 

自分が自分の世界の

主人公になりたかった

子供の頃から憧れてたものに

なれなかったんなら

大人のフリすんな

第一希望しか見えないぜ

不死身のエレキマン

 

大人になったら

セミは飛ぶんだぜ

子供のままでいるんなら

死ぬまで暗い土の中

 

自分が自分の世界の

主人公になりたかった

子供の頃から憧れてたものに

なれなかったんなら

大人のフリすんな

第一希望しか見えないぜ

不死身のエレキマン

  (不死身のエレキマン/ザ・ハイロウズ)

 

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今回もありがとうございました😊

相談天国

さて、今日は実際にデイでやってきたこと、学んだことを書いてみようかな。

 

【目次】

 

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貯金と引き出し

私達のデイサービスのエリアは神戸でも東側の灘区です。区内だけでも大小かなりの事業所さんがありました。朝と夕方の送迎で市内を走っていても、10カ所以上の送迎車とすれ違ったものです。ウチは施設に併設された事業所さんや、大企業が経営している事業所さんに比べて、物量では勝てない事業所(→失礼発言!?)と、働きだした頃は感じてました。「前の施設にあったあれがない、これもない。」と思っていましたねぇ。

ない”なら、”ない”なりにできることを見つけたらいいだけなんですが、それまでの施設では考える前にモノがあったという恵まれた??環境だっただけに💦

とゆーか、ここに来るまでデイサービス自体、学生時代の実習や前の職場で見てたようなボヤっとしたイメージしかなく、どういうものなのかを知ろうともしなかったんで。

そもそもウチのデイサービスは…というかデイサービスって、デイケアみたいにリハビリ専門ってのではなくて、どちらかというと、「〇〇することが結果的にリハビリにつながってる」的な感じ。

たとえば、カラオケであれば楽しんで歌うことで、いろんな人と触れ合う交流の時間であり、マイクを持つという手のリハビリの時間でもあり、画面の文字を見るという目の運動でもあり、音を聞くという耳の運動??でもあり、声を出すという嚥下訓練(飲み込む動作)になってます。

でも大事なのは「本人が楽しむ」ということ。

そしたら、いつしか気持ちが変わり意欲的になったりするんですよね。

よく「はよ死にたいわ」と言うお年寄りを見てきました。その真意って、100%まではいかないとしても、90%くらいは「楽しいことがない。死にたくなるほど退屈だ」だったり。

もちろん、歳をとると体の機能は低下していくものなので誰でもできてたことができなくなっていきます。そんなはがゆさと闘っているのは間違いないけど、それ以上に退屈なんですよね。少なくとも私が100人以上のお年寄りと出会って見聞きしてきた感じではそう感じました。

じゃあ、今の自分でも楽しめることって何やろうか?

そこを一緒に考えていくのがデイサービスの仕事であり意義なんかもなと思います。

やっぱりいくつになっても人間はわくわくしたいものですから(^^)

でも楽しみって人それぞれですし、来てる人全員が同じことして楽しめるなんてことはあり得ないですね。デイサービスに来る目的も人それぞれ違うので。さっき言ったカラオケにしても嫌いな人もいるわけですよね、静かにしたいんやって人。

「みんな一緒に」って、一見いいように聞こえるけど昔から私はあまり好きではないですね。

もちろん、集団で過ごすからにはある程度のルールは必要ですけど、全部にあてはめようとするのはダメかな。でも、実際そういう場所もまだまだあるんでしょうけどね…。

誰が何に興味があって何が嫌いなのかは関わっていかないと、よく観ていないと分かりません。ここでもやはり大切なのは情報収集、つまりコミュニケーションってこと。

どの場所で何をするか、そして誰をどこに席に招くか、誰と誰が一緒がいい雰囲気か、浮いてる人はいないか、とにかく目配り気配り心配りってやつです。あと、さりげなく。

実際、相手も自分も生きているわけなんで、常に状況は変わります。昨日の正解と今日の正解が180度違うこともザラです。

教科書どおりではないですからね。

となると、引き出しを増やさなければならないですね。

よく社長は「知識の貯金を知恵で引き出せ」と言われていました。

いくら勉強して知識を詰め込んでも、それだけではまだ意味を成さない。知識という氷を知恵で水に変える柔軟さが求められるんですね。

確かに、貯金してても何かを手に入れるためには使いますもんね。引き出して使ってこそです‼️(ちなみに、貯金は昔から苦手であると何かに使い切るタイプでした💦)

どちらも自分の財産に違いないんですけどね(^^)

視点をちょっと変えてみたら可能性だらけなわけです。まさに、"好きなように"作らせていただけたんですね。

もう知恵で勝負みたいな感じでああしよう、こうしような毎日でした。少なくとも、来てくれてる人ら全員、一日一回は笑顔にしようって思いながらやってました。

 

自分達の武器とはなんぞや?

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小さい事業所だからできること…。

相方と毎日相談し合いました。仕事が終わってから、居酒屋やカフェやラーメン屋さんで。

できることってたくさんあると思うけど、自分らやからできることで何が一番かって、やはり柔軟な対応ができることちゃうかと。

それを最大限発揮させていこう。

テーマは、個人を可能な限り尊重しながら限られたスペース、限られた人数で限られた時間をやりくりする。

ある時は将棋や囲碁の相手になったり、麻雀のメンツに入ったり、カ体を動かすゲームのリーダーになったりもしました。

たくさんいる中で全てに関わるのは無理ですが、最初から最後まで同じ場にいる必要はないんですよね。私達がするべきことは、何かが成立する状況ときっかけを作り。状況とは、どんなことをどこでするか、何人必要か。そこに誰と誰を引き合わせるか。きっかけは、相手をその気にさせる雰囲気作りと話術(^^)

そこを押さえておいたら、後はそれぞれで始まるので手が必要なとこに回ればよい。

5W2Hって聞いたことあるかなと思うけど

When(いつ)

Where(どこで)

Who(誰が)

What(何を)

How(どうする)

Why(なぜ)

How Much/How Many(いくら、いくつ)

ってやつです。

まさにそれでした✨

趣味や好きなことがある人、自分で伝えるのが得意な人はいいんですが、なかなか人と交われないというか、興味が持てるものが見つからない人、人前で恥ずかしいって人もいるわけです。そーゆー時はしっかり話しました。まずは信用してもらうとこからですから、いろんな話をそれぞれとしていき、興味を持ちそうな話題は全てチェックしとく。

そして私と相方が目をつけたのは外出でした。

みなさん、話してると「若い頃は◯◯によう行ったわ。もう何十年も行ってないけどなぁ。もう行くこともないやろなぁ。」ってのをよく聞いたのです。

ご主人や奥さんと行った、子供と行った、孫と行ったとか。そーゆー話、大切な思い出話をしてる時って、やっぱりいい顔してる。でも、その言葉の裏側には、「行けるなら行きたいけど一人じゃ行かれんし誰も連れてってくれへん」という本音と諦め。

多くのお年寄りが持つ悩み、そしてそこから来る気力の低下→身体機能の低下に繋がってしまうんだと思います。

「よし、じゃあそこ行ってみようや!」ってのが、私達の取るべき行動だと。

一人ひとりの思い出の場なんですが、けっこうみなさん共通してたりするんですよね(^^)

じゃあ、何人かで行こう♪

一人の夢を叶えようってのが始まりでスタートしたドライブ。

徐々にみんなの行きたいところが増えていったり、場所を提案してくれたり、最初は行きたがらない人も行くようになったり。いつしか名物みたいになってましたね。

とにかく行きました。小さい公園から大きい公園、六甲山、空港、神社仏閣、近所の商店街、デパート、新しい場所や古くからある場所、東は尼崎、伊丹、西は明石海峡大橋

そしたら、目に見えて変化が起きてきました。

部屋の中では喋るきっかけがなかった人同士が、車の席が一緒になって共通の話題ができたり、行きたい場所を提案してくれるようになったり、外出のためにお化粧バッチリ、オシャレしてきてくれたり、場所によって歩くから足が前より動くようになったり。そしたら、自然と表情が柔らかくなってるんですよね。表情の変化心の変化が見てとれる。

外出にはリスクはあります。そこは仕事として当然おさえとくことですから、事業所からの距離、移動時間、屋根のあるなし、トイレの状況、駐車場の料金、駐車場から現地までの移動距離、足元の状況、イベントのスケジュール、当日の天気。だから下調べは入念に(^^)送迎のあとや仕事上がりによく見に行きましたね。

いやぁ、探せばあるある。一年通して行く場所がありましたね〜。

ちなみに、一回、実際に行った場所をリストにしてみたら190箇所くらいありました。

それは置いといてそれ以上にメリットがある。

春は暖かさ、夏は暑さ、秋は色づき、冬は寒さと春夏秋冬を感じれること。

やっぱり季節の変化は、外に行って空気を感じて初めて実感できるんです。

そして、時代の変化

変わらない街並みと、今の街並み、そのどちらもを見て、触れて時代を感じてもらう。昔の良さ、今の良さ。とりわけ、神戸はそれが同居してる場所ですからね(^^)私達にも新しい発見の連続✨そして地域の人、家族以外の人、外部の空気に触れることでの気持ちの変化。地域の人とのつながり、やっぱりこれが一番デカい!

特に心に残ったのは、甲子園かな。あの大歓声と応援のメガホン、人の多さが印象的だったみたい(^^)

足腰が弱くて普段、車椅子の人でも階段登るって言うて両脇かかえられながらやけど登ったり。で、そんな時は現地の若いバイトスタッフさん達もみんな親切にしてくれて。

まさにWIN WINやなぁと。

最初行った年はエレベーターとかなくて階段登るの必死でしたが、翌年リニューアルでエレベーターできてたし、車椅子の観覧席もできてたり。

「オレらが行くようになって作ってくれたりしてたらおもろいよな〜」と相方と笑ってました。そして春も夏も見に行くのは恒例になりました。

 

なんせ、手が届きそうで届かないところに届くようにってのが、私達の行動理念であり、前回にも書いた会社の理念

*利他業→相手にとって良いこと、他人のため

     のお役立ち

*同時→同じ高さ、目線で初めて手は鳴る

*和顔愛語→優しい表情と優しい言葉かけ

*布施→自分の持っている技術を施す

 

なんだと思います。

結果、ケアマネさんや利用問い合わせでも話題になってましたし、自分らが気付かないうちにすごい武器になってました。

たぶん顧客満足に繋がってたんちゃうかなぁ♪

とにかく、これをきっかけに躍進していきました。

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次へのステップ

福祉とか介護って、そこに気付いて目を向けれるかどうかで全てが決まるのかもしれませんね。そして、それを解決するのは必ずしもモノとは限りません。志をともにする仲間と相談することで、一人ならできないこともできたりする。切磋琢磨できる相方と巡り合えたこともそうですし、考えたり、知恵を絞るってこともするようになれたし、何より自分達が「これや!」と決めてやったことに結果がついてくるということを経験できました。

私にとって、この頃の経験が人生の中でのかなりのターニングポイントだったのは間違いないです。

そして、また自分の中で新しい目標ができてくるのですが、なんせ社長の人材育成が今の私の基になってるかなと思います。

 

アクセル踏んでGO GO GO

バナナを食ってGO GO GO

雨はもう止んだ

 

手当たり次第GO GO GO

反省しないGO GO GO

まるで大笑い

 

相談、相談、相談、相談

相談しようそうしよう

相談しようそうしよう

 

スピード上げてGO GO GO

麦茶を飲んでGO GO GO

窓を開けるのだ

 

相談、相談、相談、相談

相談しようそうしよう

相談しようそうしよう

 

目が冴えてるぜGO GO GO

王手飛車取りGO GO GO

勝たせてもらうぜ

 

相談、相談、相談、相談

相談しようそうしよう

相談しようそうしよう

 (相談天国/ザ・ハイロウズ)

 

今回もありがとうございました😊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フルコート

さて、前々回で古巣を出て、六甲道の事業所での仕事がスタート。配属はデイサービス✨

ちなみに、この会社の理念は

*利他業→相手にとって良いこと、他人のため

     のお役立ち

*同時→同じ高さ、目線で初めて手は鳴る

*和顔愛語→優しい表情と優しい言葉かけ

*布施→自分の持っている技術を施す

でした。至ってシンプル、だけど深い。

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六甲山の鉢巻展望台からの灘区(^^)

【目次】

 

顧客満足とは…?

デイサービスやデイケアは、介護保険における通所サービスです。在宅等でお住まいの方で、要介護1〜5の方が利用できます。(*要支援と認定された人はサービスの定義上、内容や条件がちょっと違います)。

主たる目的は"在宅生活の継続"なので、在宅のお年寄りが顧客ということですね。

行うことは、ザックリしたところ送迎、健康チェック、入浴、食事、余暇活動、リハビリ。

数多の事業所さんが、それぞれ特徴を作って励んでおられます。

まぁ、中には「じーちゃんばーちゃん預かりまーす☝️」みたいな、とりあえず来てもらってたらそれでOKみたいなとこも。

実際、通所系サービスは1日いてもらって、最低限のことしてたら、あとは黙ってテレビでもつけてようがしゃべってようが事業所にはお金入るし、怪我や事故さえなければ一見サービスとして成立しますからね〜。言い方わるいけどどっちにも転ぶのです。

そういう意味では、大きな事業所に比べるとハード面としては劣る小さい事業所でしたが、工夫次第で可能性は無限ということが分かりました。あたりまえなんですが、選ばれる事業所になるためには、やはり顧客のニーズに沿ったことをする。

前々回の記事で書きましたが、社長が言われている"同時"とはまさしくそういう意味です。そのためには、「デイサービスに何を求めてきてるか?」という相手のことを知らなければなりません。そのためには、その人の性格、身体状況、取り巻く生活環境、趣味、仕事、などなど、ありとあらゆる角度からその人を知ることから始まります。

それから、あれこれ試してみたり話を聞いてみたりしながら探ります。

実際、ちょっとした会話の中にこそ、すごい数のヒントや情報が転がってるんですよね。そのためには、こちらを多少なりとも信用してもらわないと聞きだせない。コミュニケーションってそういうためにも必要であって単純にその場しのぎ、時間潰しではなく、いわば情報収集です。これは、理念で言うところの"布施"になります。あとは、人あたりというか雰囲気ってすごく大事ですね。話をしたくなる人、聞いてほしいって思える人、周りにもいますよね?

これを社長の人材育成の中では"和顔愛語"と言われてます。これはかなり重要ですね(^^)

なので、どれだけ経験年数があろうと、すごい資格を持ってようと、相手のことを知ろうとしない人、関わろうとしない人は残念ながら向いてないと思いますね、この仕事。

これは今もそう思ってます。

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理念はわかりやすくがわかりやすい

株式会社という組織形態がそうだったのか、なんせ私には新鮮なことばかりでしたし、勉強になることばかりでした。理念とかも初めてその意味というか重要性を学びました。

そして何より、分かりやすさがないと意味ないなと思いました。

 

介護業界ってわりと世間の捉え方とズレているところがあります。で、それをOKとしてるとこがある。

これは、介護保険が始まる前の"措置制度"の頃の習慣も大きいかな?昔は何もしなくても利用者さんは来るし、補助金もデカいし。

さぞ崇高な理念を掲げてされてるんでしょうけど、浸透してるのは一部だったり?

だから、何となく日々が過ぎて、何となくお年寄りと関わって、何となく仕事をこなす。

やがてその"何となく"が福祉全体に広がり(笑)、独特の価値観につながってるようにも思います。なんか、ズレてる感じがまだまだ残ってる気がします。

いまだに「世間が福祉の価値観にすり寄ってこい」みたいな部分…たまに感じるかなぁ。

もっと自分達から変わらないといけないと思うんですけど🤔

たとえば、いつかの記事で書きましたが、しっかり挨拶ができない人が多いなぁと思うことがあったり、お客さんが来ても知らん顔してたり、「自分のお客さんじゃない」みたいな。

事業所に一歩入ったら、その人は事業所のお客さんです。利用者さんであれ、取引先であれ、同業者であれ、配達業者であれ、とおりすがりの人であれ。みんなで「ようこそ」な気持ちで迎えて、みんなで「ありがとうございました」の気持ちで見送る。

そしたら、「また来たいなぁ」って思うんじゃないかなと思います。電話対応も同じ。顔が見えないからこそ電話の方が大事やと思います。

事業所としての顧客ってのは、何も利用者さんだけじゃないんですが、まだ、なかなかそこに気付かない人が多いかな。この会社では、そこが最優先事項でもあったかな。

私も以前はそれを言われる側でしたが、周りがその意識で仕事されてたこの会社では、早い段階でその意識は変わりました(と思うてます💦)。

「この人たちはもっと高い所(意識的な意味)を見てるんやな」という環境でしたので、まずは追いつくことから始まりました。

そのためには、とにかく観察しましたし、メモとか凄まじいペースで書きまくりました。

書くのキライでしたが、やっぱり書くことって大事なんですよね。所詮は人間の頭、聞いたことの半分くらいは入ってないこともあるし、口頭のやりとりほど曖昧なものはないからって思ってましたし。

それに大きいのは、書き続けてるといつのまにか自分の中でポイントをしぼれるようになったりと、まとめるコツを掴むのにもいい訓練。

最初は私もダラダラと長く書いてましたから、文章をまとめるのはとにかく下手くそでした。今も決して上手ではありませんが、マシになったほうかと(^^)

あとは、とにかくなんでも「やります」「やらせてもらっていいですか?」って手を挙げてましたね。お使い的なこともよくしました。それは、自分らが事業所の車で地域に出ることで事業所のPRになるし、スーパーであれ、コンビニであれ、公的な場所、屋外に出向くことで、地域の人と触れ合えるし、どんな人が働いてるってのが分かってもらえる。分かれば安心してもらえるし、印象に残る

そこから自分達だからこそできることへのヒントが広がります。

今となっては仕事上のやりとりは、メールや電話、FAXで済ませれることがほとんどです。

時短にもなります。

でも、直接会って話すことでしか伝わらないことがあるし、福祉の仕事ならなおさらそうしといたほうが良かったりします。

今でもけっこうな方の名刺をいただいてますが、パッと名前聞いて顔が浮かぶ人と、特徴から思い出す人と、シチュエーションから思い出す人など色々いてます。

でも、どれだけ素晴らしい志で、素晴らしいことしても、誰かの印象に残ってなかったら残念ですよね。

てなると、この会社としても自分としても、目指すのはパッと浮かぶ人になることなので、とにかくちょっとした用でも足を運んでました。特にケアマネージャーさんのところには。もちろん、実際にもちゃんとサービスは提供してましたよ??こういう変化があったとか、こんないいことがあったとか(^^)

家族さんはこう思ってるとか、ちょっと介護疲れが見られてますとか。ケアマネさんも大切な顧客。後々、自分でケアマネしてても思うけど、直接処遇の現場と違って細かい変化とかはすぐに分からないんです。でも、気付いたら大きなことになってるとかもあるので、助かるんですよね。

だから、必要としてる情報とかは細めに提供してました。これって、理念の中の"利他業"なんですよね〜。

その積み重ねで確実に信用はできましたし、新たなニーズも知れる✨

着実に新規利用の問い合わせ件数は増えてました。つまり、理念を分かって、それに沿って行動することで、結果はついてくると。

だから、理念はわかりやすいのが良い(^^)

この会社では、介護職としての前に、人としてっての大切にされてます。福祉の仕事をするのもまた人やから、そうやんなぁと。

そして自分たちの目標はとりあえずは灘区一のデイサービスです。何が一番かと言われたら、信用度と顧客満足度です‼️

自分達だからこそできることを見つけていき、私達の鉄板と顧客満足につながるのですが、それはまた♪

 

フルコートのD

 

アウェイのユニフォーム向かい風

終わらない5分間

惰眠の彼方、飽食の果て

お金では動かない

 

チャンピオンリング

チャンピオンリング

 

破れない便箋と

壊れないシャボン玉

弱いけど小さいけど

負けるとは限らないぜ

 

奇跡なんかじゃないんだよ

待ってたんじゃダメなんだよ

神の仕業ではないんだ

本当の名場面だ

他に方法はないんだ

他にはないんだ

 

フルコートのD

 

チャンピオンリング

チャンピオンリング

 

錆び付いたプラチナと

ヒビ割れたダイヤモンド

強いから大きいから

勝てるとは限らないぜ

 

奇跡なんかじゃないんだよ

待ってたんじゃダメなんだよ

神の仕業ではないんだ

本当の名場面だ

他に方法はないんだ

他にはないんだ

 

フルコートのD

    (フルコート/ザ・ハイロウズ)

 

ちょっと自分で書きながらまとまりきってないなぁと思いました💦

また加筆修正していこかなぁ。今回もありがとうございました😊