NPO法人代表の"未来は僕らの手の中"

"音楽×福祉"NPO法人の代表が日々のあれこれを日記みたいにゆるーく書いていくブログです。

タリホー

たぶん一番忙しかった時期であり、今へのヒントが出揃った時期でもあります。

たった一つの仕事も、きっと自分一人では成り立たない。そーゆーのを身をもって分かりだしたのがこの頃だったかなぁ〜。

 

【目次】

 

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ちょうどいい距離

ケアマネの業務のまず第一歩は、訪問する利用者さんの家を覚えることから始まります。業務の中で月に1回は自宅訪問します。

モニタリングといって、現状の生活状況の確認や、サービスの効果や満足度の確認、そして継続か否かを聞いたり、客観的に見て変更または追加の必要性の有無を確認しに…

というのが目的。でもそれ以上に担当してる人に会えるってのが楽しみだったりします(^^)

ちょっと行って話をするだけですが、ありがたいことにそれをすごく楽しみにして下さってた方も。こちらとしては、一人ひとりのこれまでの人生、思い出が詰まった家、部屋に上がらせていただくんですから、こんなありがたいことはないです。

ちなみに私が担当させていただいた方は多い時で48名(うち10名ほどはケアハウスの方)ほどいましたので、一人ひとりをしっかり覚えないとですし、覚えてもらわないとですし。

それまでの経験からもけっこう人を覚えるのは得意でした。たぶん、向き合って2~3分くらいちゃんと話をすれば覚えます(名刺交換やその場での挨拶だけではちょっと難しいかな?)

接客商売でもなんでもそうだと思いますが、特に福祉の仕事はそうなのですが、まず相手のことを知ることから始まります。

特にケアマネってのは、通常は全てのサービス云々の入り口で関わるもんなので、そこから先に関わっていく人達(サービス事業者の皆さん)に「大まかなその人像」を伝えていく役割があるのですね。

そして、何より”その人がこれからどう過ごしていきたいか”を一緒に考えていくのが仕事なので、その人のことを知らなければ何も始まりません。

服装、髪型、歩き方(車椅子)、仕草、におい、話し方、声質、癖、出身地、趣味、好きな食べ物、などなど…。出会った瞬間から無意識下に情報収集を行います。

「私はあなたのことを知りたいんですよ~」という気持ちで。

でも、いきなり知らない人に根掘り葉掘り聞かれていい気をする人は少ないでしょう。

人それぞれ対人関係においてテリトリーがあるので。そこを無視して距離の取り方を間違ってしまうと、たちまち拒否反応を持たれるわけですね。

そうならないためには、まずはファーストインパクトが重要なのです。

しかし、月1回の訪問なので、その1回1回が大切な時間。限られた時間で、相手の要望とかを引き出さないといけないのでね。話が長めの方や、内容がループしちゃう方の訪問では時にかなりの時間滞在することもしばしば…

最初の頃は行って世間話して何も引き出せず帰ることもありましたよ💦

でも、そういうところから少しずつ相手と最適な距離を測ったり、いずれは信頼関係につながると思うのでそれも大事(^^)

"ローマは一日にしてならず"ってやつ。

けど、福祉の仕事をしてる人でありがちなのが、自分本位の間合いでグッと距離を詰めてしまうこと。逆に極端に距離を取って遠すぎる位置で関わってしまったり。

もし、今福祉の仕事をされている方の中で他者との関係性がうまく作れないなぁと思う方は、おそらく相手との間合いがよろしくないのかもしれませんね。

相手のことを紙ベースの情報ではなく、どれだけ知ってますか?どれだけ気にかけていますか?まず相手のことをよく見て、本当のその人知る、知ろうとする姿勢で関わってみながら、最適な距離感を探ってみましょう(笑)

ピントがずれていては、ぼやけたその人しか見えませんからね。

それに、ずれたまま行くと、先々になって修正不可能になっちゃうことも⁉️

まぁ、これはあくまで私自身の経験測ですが。

 

なので、まずは自分自身のことを多少情報開示する。相手にとって自分が何をする人なのかをできるだけ分かりやすく示す。こちらから先に開かないと、向こうから開いてくれることは、まぁ少ないでしょう。

私は初対面の時には、相手にとって自分はどのカテゴリに分類されるのかを考えますね。

自分(私)がイメージしてる自分ではなく、相手がイメージしやすい自分(私)はどんな存在やろうか?もちろん、ケアマネ―ジャーなんですが、それは”ケアマネという職種”の紹介。

それよりも”このどんな人なのか?信用できるのか?”のほうが重要でしょう。

そのためにはまずは相手の身近な存在になってみる。とりわけ、お年寄りサイドからすると私は年齢的には孫世代にあたる場合が多かったので、ケアマネという仕事で関わっているよということを醸し出しながらも、説明しにくいのですが、どこかしら”なんちゃって孫感”を出すわけです。だからといって馴れ馴れしくするのとは違いますよ!?

これって、介護職の陥りやすいとこなんですが、変に馴れ馴れしいヤツというか…。そんなのはただの勘違い野郎ですのでご注意を。

そうではなくて、におい?エッセンス?ニュアンス?「ほんのり孫っぽい」くらいの感じ。

付きすぎず離れすぎずのちょうどいい距離を取るというのは、なかなか難しかったりするんですけどね。相手のその時々の状況、気分、体調でも変わってくるし。

それを肌で感じ取れる人は私は「なんてセンスのある人なんだ!」と思います。

あとは経験と感覚かな?

 

チーム作り

介護保険サービスは、まず対象となるお年寄りがいて始まるわけですが、何も訪問して世間話をするだけが仕事ではありません。かと言って、ケアマネージャー自身がその人に直接サービスを提供するわけではありません。自分達は

今のその人にとって有意義なサービスは何か?通所系サービス、訪問系サービス、施設サービス、福祉用具貸与サービス、今何が必要なのか?」を一緒に考えるのが役割。

そして、必要に応じて各サービス事業所へつなぐこと。その人の在宅生活を皆で支える。

担当させていただいたお年寄り一人ひとりとの思い出はたくさんあります。

認知症の方で徐々に進行していってしまう方もいたし、身体がどんどん動かなくなる方もいました。最終的には死を迎えて行く中での本人の苦悩、あきらめ、家族の苦悩、悲痛な叫び。在宅介護の限界から泣く泣く施設入所を選択せざるを得ない方もいましたし、介護疲れから精神疾患を患ってしまった家族さんとか、中には家族から疎まれキーパーソンは家政婦さんとか、勝手に車で出かけて出先で事故起こしたりとか、子供と2人暮らしでその子供(といっても、それなりの年齢)さんがどうやら障がいを持たれてるとか…。

夕方に一人で出歩いてしまい、ヘルパーさんと一緒に探し回ったり、切れた電球を交換したり、網戸が外れて困ってるとかもありましたけど💦

大なり小なりご本人やその周りの人の切迫した状況を目の当たりにして、それまでの現場にいた頃の自分はその一部分しか見てなかったんだと気付く。世の中が見て見ぬ振りをしてるところ…たくさん見ました。

そして、担当させていただいた方のうち10名以上の方の最期にも関わらせていただきました。

そこには、必ず一緒に動いてくれていた事業所さんがあるわけです。

いろんなケースで様々な事業所さんとチームを組んでいくわけですが、だいたい助けられっぱなしでしたね。

様々な現状を一刻も早く打破するために一緒に悩み、何度も何度もアイデアを出し合いました。時には事業所さんそれぞれの立場における考え方の違い、対応できる限界に直面することもありました。無理なことをお願いして聞いてもらったりもしましたし、私の不手際でご迷惑をおかけしたことも数え切れません(^^)

それでも、訪問してみんなで他愛のない話をすることで、お年寄りの笑顔を作れたり、その人や家族を束の間かもしれないけど支えることができました。失礼を承知で言いますが、2度と会えなくなる場合もありますから。

そんな一瞬一瞬を共にしてきた事業所さん達は、所属は違えどある意味、戦友のような存在。ケアマネの仕事を辞めたあとでもつながれているのは私にとって財産です。

数々のエピソードがあります。その一つ一つが今となっては思い出なのですが、私の中で一番印象に残っているものを一つ。

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チームですね、この方達も

 

8日

医療機関とも連携は欠かせませんでしたが、ある時、病院から依頼が入ります。

入院中の余命2週間ないくらいの方。ご家族から「最後は自宅で過ごさせてあげたい」ということで在宅サービスをお願いできないかというケース。最初に電話があった時は驚きました。初めて関わる人が余命2週間なんですからね。とにかく、医師、看護師、MSW(メディカルソーシャルワーカー)、そしてご家族と話し合いの場があるとのことで、急ぎでチームを組む必要がありました。最低限欠かせないであろうサービスの調整に動くわけです。

訪問介護訪問看護福祉用具、訪問入浴、それぞれの事業所さんに連絡したところ、皆さん、最優先で予定を調整してくれて、皆で病院に行きます。

たぶん、電話があった当日か翌日だったような…。

初めから最期に向けた支援をする。本人にお会いした瞬間は正直複雑な気持ちでした。

それでも、自分達でできる限りのことをしようとなります。皆さん、かなりの経験者だったので、状況判断、希望から各々ができる最善策を持ち寄ってくれました。退院は数日後、私の役割はそのスケジュールとサービス利用の計画書を作ること。一週間の中で何曜日の何時にどのサービスを入れるか。それぞれの可能な限りの案を出してもらい、それを計画書に落とします。

毎日、朝、夕には身の回りの介護のためヘルパーさんを入れる。日中には看護師さんに訪問してもらい体調の確認。一日置きに訪問入浴。

そして、何よりもまず福祉用具さんが自宅環境を整えてくれました。

これで退院準備はバッチリ。退院時、そしてほぼ毎日、私もどこかのタイミングで訪問しました。各事業所さんも、訪問した際の様子などを事細かく報告してくれました。

本当にすごい人達だなぁと尊敬しました。

しかし、当たり前なのですが日に日に様子は変わってきます。ご本人の様子、事業所さんの見解、ご家族の希望、細かい調整をしていきます。訪問時間の変更や回数を増やすとか、けっこうなスピードで状況変化するんですが、皆さんそれに対応してくれてました。

そして…最期を迎えられるわけですね。

葬儀などを終えた後に他の事業所さんと訪問させていただいた際、

「みなさんのおかげで、本人の希望通り家で最期を迎えれました。毎日いろんな方が来てくれて、本人も喜んでたと思います」

とお言葉をいただきました。

それを聞いた瞬間、事業所さんはともかく一番何もしてない自分にまで、こんな言葉もらっていいのかな?と思いましたが、それは違ったんです。

簡単なことですが、いろんな事業所さんが関わるというのは、それぞれにしかできないことがあるからで。

直接的であれ、間接的であれ自分の役割を全うすることが大事。それがチーム。

そう考えると、もしかしたら初めて自分の役割を自分の役割と認識して自分の役割ができたのかもしれないなと思いましたし、「あ、オレ今ケアマネやってるやん!」と。

なんせ一日一日が濃いかったですからね。

不謹慎ですが、達成感というか、チームを作って一丸となる楽しさ?に気付いたというか。

それに、ケアマネという仕事を通して見てきた様々な現実、とりわけその中でも"障がい"というキーワードが自分の中で何となく引っかかりだして、ここから色々と考え始めるわけです。

 

わいタリホー さめタリホー

氷もほっときゃ流れるぜ

 

あれはカモメか翼の上か

そのまま長い堤防か

形は変わる自分のままで

あのとき僕はああだった

 

闇に溶けてゆく 海へ海へ

まぶしい陽にのぼる 空へ空へ

 

わいタリホー さめタリホー

氷もほっときゃ流れるぜ

 

ほんとうの時 教える時計

おもいをはかる 温度計

涙の記憶 消えたりしない

漂っている赤道か

 

闇に溶けてゆく 海へ海へ

まぶしい陽にのぼる 空へ空へ

 

わいタリホー さめタリホー

氷もほっときゃ流れるぜ

   (タリホー/ザ・クロマニヨンズ)

 

というわけで、今回はケアマネを主眼においたお話でした(^^)次は、事業所内での仲間たちとのお話かな?

今回もありがとうございました😊