雷雨決行
父親が亡くなった後、お酒を飲みながら、「兄弟でいつか何か一緒にできたらおもろいやろなぁ」という話をしていました。
【目次】
いい流れにはとりあえず乗ってみるのもいいんじゃない?
前職の時、今からもう7年前くらい??まだまだ今やってることが思いもしなかった頃になりますが、とある研修に行かせていただいていたときのお話。
その研修の講師さんに少し自分の目標か何かを話したんやったかな?そしたら
「あなたは同じ場所にはとどまれない。自分で何かした方がいい人。でも、お金にはあんまり執着心なさそうやから会社とかよりはNPOとかしたらいいんじゃない?」と言われたことがありました。
その時は「NPO??ボランティアの団体ってことかな??なんかよー分からんなぁ」でした。
それから1年ほどが過ぎ、組織の中において年齢的にも、経験的にもいわゆる中堅に差し掛かる時期。
いつものように深夜まで仲良く!?仕事している私達は「これから自分は何がしたいのか」「どうなっていきたいのか」みたいな話をよくするようになっていました。
みんな夢や目標を持ってたので、ずっと今の場所でとどまっている感じではなかったです。前向きな話が多く、それぞれ具体的でした。
しかしながら、私は「何かしたい」という気持ちはありつつも、その決定打となる"何か"がまだ見えてないでいました。そんな中、三羽ガラスの1人のメガネ男子が障害福祉の相談員としてヘッドハンティングされるわけです!
市内の福祉業界において、人望と人の繋がりの広さは、たぶん施設内においてダントツな彼なので、当然周りが放っておかないだろうと思ってました。一足先に転職の動きに(^^)
そして、時を同じくして、ネット販売の会社をしていた弟から連絡が入ります。
「就労支援て知っとる?知りあいがそういう取り組みしてて、そういうの聞いてさ。一緒にやってみーひん?」
3兄弟の真ん中の弟は、数年前からネット販売の会社をしていました。今みたいにまだネット販売が当たり前になる少し前、最初は家の部屋から始まり、引っ越し引っ越しを繰り返し、そこそこ大きな場所で経営していました。
当然「え?何それ?」です。
その時、障害福祉に興味を持ち始めた頃だったので、就労支援という言葉すら初めて耳にしたもんです。いろいろ調べたり、周りに聞いていきます。
まず就労継続支援にはA型とB型というのがあります。A型は訓練でもありながら、雇用契約を結ぶという形なので、それなりの福利厚生ありでハードル高そうなイメージ。
B型は、もっとソフトというか、自由というか、福祉色の方が濃い就労の最初の一歩となる場所ってイメージ。後日、弟と会って話をします。
ふむふむ…。
つまり、弟の会社としては
”新しい取り組みを試みたい”
”自分らの会社としても将来的にプラスになるかも”
”何より社会貢献になる”
”しかし、その事業を始めるには福祉の経験者、資格が必要”
ふむふむ…。
そして、私としては
”自分で何かしたい”
”障害福祉に興味が傾いている”
”就労ということは若い世代と関われる”
”今の自分の経験も活かせるかもしれない”
あれ?完全にハマってるんちゃうか、コレ!?
すごいタイミングでした。なんとゆーか、自分の中でピンときた感覚??
「おもしろそうやな、やってみよか」と、よくもまあ、この時点ではまだそれがどういうことを意味するのかよく分かってもないのに、「おもしろそう」という感じで乗ってみます。こういうときって、あまりあれこれ考えずに返事する人で💦
でも、少し考えたら「障害って言ってもいろいろあるし、そもそも就労支援の事業所ってどんな感じの人が行くんやろう?」となります。
知らないことを考えても仕方ないので、「よし、やってる人に聞いてみよう。というか、実際に見に行こう。」と。
まず、デイサービスで一緒だった(その時はもう退職されていた)方で障害福祉について良く知っている方がいたので、就労支援をしている事業所さんを知っていないか聞いたところ、姫路に、若くてすごい評判のいい施設長さんの事業所があって、知人がそこで働いていると聞きます。しかも、そこの団体はNPO法人だと言います。
先に述べた研修の講師の話が脳裏に浮かびました。さっそく見学できるか聞いてもらいます。ぜひぜひということで、電話し見学の日取りを決めます。寒い冬の時期でしたが、自分の中に何か新しいワクワクが生まれ、ドキドキしていました。
いろんなことが一気に回り始めた気がしました。
やってみないと分からない
そして、弟と一緒に姫路にある「みんなの家」に見学に。入った瞬間、今まで自分が関わってきたり、過ごしてきた空間と全く別世界のような感覚でした。自分の中の多少なりともあった事業所のイメージが一気に吹き飛びました。
「なんだここは?」が正直な感想。
福祉の仕事という観点からはお年寄りしか見てきてなかった自分にとって、いろんな意味で衝撃でした。みなさん、いろんな作業をされてて、ニコニコ笑顔で迎えてくれる人もいれば、知らない人が来たことに対する警戒心を抱く人、無表情でじっとこちらを見ている人。でも、その初めて入る空間なのに、不思議と居心地が良かったというか安心できる感じ。
だから、「なんだここは?」
そして、代表の方とお会いします。たしかにお若い!私の1つ年上の方。職員さんや利用者さんらから慕われているのが一目瞭然。熱く、それでいて温かいものを持っている人。
まず最初に事業所内を見て回り、そこがどういうことを目的に、どういう人達を対象にして、どういうことをしているか教えていただきました。
そして、自分でやりたいという話を伝えたところ、
「この仕事は同じ福祉でも高齢者とはまた違いますわ。福祉的なサービスも大事やけど、何が一番苦労するかって仕事を確保すること。みなさん仕事しに来てるわけやから、作業は絶対に切らせられへんからね。軽い気持ちで始めてアカンなった事業所もようさんありますよ。」と経営的な視点の話をして下さいました。
私なりのやりたいこと、こうなればいいなって話をしたあと、彼は続けます。
「最初は僕も分からんことばっかりで苦労したし、職員さんらにもしんどいめにあわしてきました。でも、それ以上にやっぱり利用者さんみんなの顔見とったら、やってよかったって思います。みなさん抱えてるもんいっぱいあるし、世の中的に嫌な思いをしてきた人もたくさんいます。いろんな家庭の事情もあるしね。でも、みんないい笑顔見せてくれるんですよ。色々ある中でもこうして来てくれてるってことは、理由は何であれここがその人にとって何らかの役割になってるんやね。そう思うと、たまらんですよ。それが続ける原動力かもしれない。なんせ、この仕事はまだまだ可能性しかないですからね。だから、同年代で同じ思いで志してる人ができるのはめちゃめちゃ嬉しいです。後押しはなんぼでもするし、応援しますよ。」と。
この方とは、それ以降もいろいろと連絡を取りその後も長い付き合いになるわけです。
見学を終え、「この人にはかなわんなぁ」という思いと「いつか肩を並べれるようになる」という思いになりましたが、経営という自分の中ではとんでもない大きい現実に向き合わなければいけないんだなと。「自分にできるんやろか?」とビビってしまう自分もいました。
…が同じくらい、おもしろいことになりそうって予感と、自分の価値観にかけてみたいという思いもありました。
帰りに寄ったご飯屋さんではその思いが行ったり来たりしていました。
その迷いが伝ったんでしょう。会社を6年ほどやっている弟からしたら「大丈夫やろ。俺もいろいろアドバイスするし、軌道に乗るまでは一緒に考えるわ。とりあえずやってみな分からんやろ?絶対うまくいくと思うねん。」と。
そして、帰りの車の中で答えははっきり決まりました。
「よし、とりあえずやってみよう」
その事業所さんのスイーツ♪うまいんですよ〜
やりたいこととは何ぞや?
それまでの10年とちょっと、高齢者福祉だけをやってきました。この仕事は人生のラストに向かっていく最中で、ある程度完成されつつあるその人の人生にお邪魔させていただくってことだと思ってます。
私達が知らない時代の生きた証人と直接触れ合うということは本当にありがたい。
特に戦争を体験してこられた世代はすさまじい道のりを歩んで来られたわけです。
その原動力?パワー?生きる意志?って何なんやろうか…。何十年もの間、その人を支えてきたのは、決して足腰だけではないはず(笑)
うまく言えないですけど限られた時間の中で
"生きるってこういうことや"みたいなんを教えていただきました。
私が思うに、この仕事(高齢者福祉)の素敵なところは人の生き様に出会えること。
同時に「あなたはどう生きていく?」って問いかけられてることかもしれませんね。
その問いに取り組むために進んでいくんでしょうね(^^)
偉大なる先人と関わってきた身としては、それを糧?武器?に、同世代や下の世代とか、今の時代やこれからを作っていく人達に伝えていく役割があると思いましたし、「温故知新」何かおもしろいことができたらなぁと。そういう意味では、私が高齢者福祉から障害福祉に転向するのは必然的だったんだろうなと思うようにしてます。
以前は、自分をアウトプットするツールは、音楽でありバンドでありライブだけだと思ってたんです。なんでそうやったんか考えてもなかなか出てきそうで出てこない。感じてるのにそれが何か分からなかったんです。
「メンバーやお客さんとのあの感じはいったい何なんやろう??何事にも飽きやすい自分がなんであそこまでのめりこめたんやろう?」
たぶん、好きなこと、自分が楽しめることを通して人とつながって、共有できた時の喜びだったんだと思う。つまりは、人と関わることが好きなのかもしれないなと。
高校生の頃、私が進路に迷ってるときに友人が「お前福祉に向いてるんちゃうか?」と言ったのって、そういうことやったんかもしれません。
あぁ、なんやそういうことか…
自分がやりたいことって"ワクワクしたいってことやったんやなぁってのに、この頃に気付き始めたわけですね。
それだけには正直でいたいなぁと思います。
なので、福祉×音楽は私にとって全てのキーであり、これからいろいろと自分なりの答えを出していくテーマでもあります(^^)
かくして高齢者福祉という業種にいったん区切りをつけて、次なるステージに進んでいくわけですね~。
私なりには腹をくくったわけですが、ここからまたいろいろと始まって行くわけです。
それにはいろいろと困難もありました。
次からは、いよいよ立ち上げに至るまでになってきます…たぶん。
言いそびれたことがあるけど
かき消されていく風の中
何が失望か絶望か
やり残したことなどないぜ
真夜中何度も何回も
暗闇の中を手探りで
ドアノブを求めつまづいた
とにかく出口が欲しかった
合言葉は雷雨決行
嵐に船を出す
引き返すわけにゃいかないぜ
夢がオレたちを見張ってる
オレが知らないオマエがいて
オマエが知らないオレがいて
笑えないくらいにかじかんで
同じドアノブを掴んでた
合言葉は雷雨決行
嵐に船を出す
引き返すわけにゃいかないぜ
夢がオレたちを見張ってる
引き返すわけにゃいかないぜ
夢がオレたちを見張ってる
(雷雨決行/ザ・クロマニヨンズ)