ブルーハーツのテーマ
みなさんは、自分の将来の進路はいつ頃に考えましたか?今、その頃に描いていた自分になっていたり、近づいていたりしますか?
私はその頃は思ってもみなかった自分になっているかな。でも、それも色々あっての今ですからね(^^)人生って、どんなきっかけで、何が起きるか分からないから楽しいです。
さて、今回からちょっとの間、事業所を立ち上げるに至った話を書いていこうと思います。
まぁ、昔話です(^^)
わりと、いろんなドラマがあったりなかったり…
今回は、そもそも福祉に進むきっかけになった時期についてです。
【高3男子、進路について考える】
まずは、なぜ福祉の方向へ向くに至ったか。
それは高校3年生の秋に遡るのですが、
それまでは、もっぱら"バンドで成功する"ことしか考えておらず、学校で出す進路希望の紙にもいつも「フリーター」「バンドマン」と書いてました。(青い感じですね)
通っていた高校は、どちらかというと進学する生徒が多い学校でしたので、大半の生徒は大学あるいは専門学校を目指していたと思います。
当時は心のどこかで
「社会におさまる生き方したくない」
「大人の顔色見て生きたくない」
「やりたいこと我慢しながら生きる大人にはなりたくない」
「サラリーマンには絶対ならない」
「ギターで世界を変えてやる」
…とまぁ、恥ずかしながらも真剣にそう思っていました。中二病的なところが間違いなくありましたね。
流れに逆らうことをするのがバンドマンやと思ってた反面、真剣に現実に向き合うことから逃げていただけなのかもしれません。
もちろんバンドで成功したいというのは本気でしたが、一緒にしてたメンバーも、いつしかみんな進学という話が出てきまして…。それに気付いた時はかなりショックを受けたりもしたけど、同時に現実に向き合わなければいけないという高3の秋。
学校でも大半は受験モードに突入。入試対策(いわゆる赤本)を持っている生徒さんが増えていました。
それでも
「いやいや、オレは音楽でやっていくんや」と思いながら過ごした日々。
担任や親も、最初は「思春期あるある」くらいに思ってたんでしょう。
しかし、いよいよ心配になってきたのか、あの手この手で説得にかかります。
「いったいこの先どうするつもりなんや?」と…。
そう言われてると、だんだんよく分からなくなってきたんですね。
そう、残念なことに音楽以外にやりたいことを考えたことがなかったのです。
かと言ってギターを片手に家を飛び出すような根性もなく💦
ついに、現実逃避をするだけの宙ぶらりんになっていることに気づき始めたわけです。
ちょうどその頃、ジブリ映画のの”耳をすませば”をよく見ている時期がありました。
一見、受験中学生の恋愛が話の軸のように見えますが、あの映画は人生について、進路について真剣に悩み、自分のやりたいことのためにやるべきことを見つける若者の話なんですよね。「そっか」って思わされるセリフがてんこ盛りですよ!!
それに、当時の自分の置かれた状況とリンクしているところがいっぱいあった。
詳しくは、まぁぜひぜひ見てください♪
その中で主人公(月島雫)が姉に「進路っていつ決めたの?」と問いかける場面があるのですが、その姉は「それを見つけるために大学に行ってるの。」と言っていました。
そういうもんなんかなぁと思いながら、「じゃあ、学校のみんなは進路ってどう考えてるんやろうか?」と思い、クラスで何人かに「なんで大学に行きたいん?」と聞いて回るのです。
そしたら、「〇〇を目指してるから〇〇の学校に行くねん」とか「〇〇を勉強したいから〇〇大学行くねん」とやりたいことが明確でそのために大学に行きたいという人もいれば、「もっと遊びたいしまだ働きたくないから」とか「ふつう行くんちゃうん?みんな行くやん」とか言う人もいました。「ふーん、そんなもんかぁ」という印象でしたが、自分の中では大学という選択肢は完全に消えていましたね。
しかし、じゃあどうするのがいいんかなぁと。
そこで、初めて親友に打ち明けたのです。
「なあ、やっぱこのままやったらあかんのかな?」
【おまえ、福祉とか向いてんちゃうかな?】
(作ってもらったギター)
ある日、何気なく学校帰りにウチで音楽を聴いてギターを弾いて遊んでたときに、そいつに「オレ、これからどうしたいか分からんなってきてん。」
と打ち明けました。笑いながら一言「やろうな」と…。どうやら最近は微妙な顔をしていたらしいです。
その子は、高校二年で出会って、おそらくほぼ毎日一緒にいたようなヤツで、照れますが私のことを誰よりも分かってくれているヤツ。それは、今もずっと変わらないんですけどね。(ちなみに、事業所立ち上げの準備でもいろいろと手伝ってくれたんですけどね。その話はまた☆)
彼はギターを作る専門学校に行くと決めていました。
(後に私の愛機となるギターを作ってくれたヤツ)
バンドでやっていきたいってのは、それまでもずっと言ってたのでよく分かってくれてたのですが、そいつからふと言われたのが、
「まだ焦ってもしゃあないって。他のことやりながらでもバンドはできるやろ?それに、いろいろ見て成長したほうが音楽にもいい影響出るんちゃうか?幅も広がるで。お前って、なんやかんやでよく人を見てるし、人の接し方うまいほうやと思うで。
福祉の仕事とか向いてんちゃうかな?hideも難病の子と関わってたやん?音楽と福祉って、どっちも人と関わるし人を笑顔にするんちゃうか。福祉の仕事するバンドマンってのもいいやん!とりあえずやってみたら?」
その一言で「なるほど!たしかにそうかもしれんな!よし、やってみよう!」と。
そうです、hideさんは、今更言う必要もないのですが、私たちの時代のギター小僧たちのヒーローであり、初めて心の底から憧れを抱いた人。と同時に、私がギターがカッコいいと思うようになり始めるきっかけの人でもあります!
喉につっかえてたものが取れて、一気に景色が広がった気分になりました。
…と同時に、恥ずかしながら音楽のこと以外は本当に無知な男でした(^^)
親や担任にも話をして福祉の専門学校を目指すことになるのでした。
同じく、耳をすませばの主人公のセリフ
「そうかぁ。簡単なことなんだ。あたしもやれ ばいいんだ。」
ほんと、それだけなんですよね。
かくして、バンドマンの新たな道が突然出てきちゃったわけです。
今の私の中の「福祉×音楽」という漠然としたコンセプトはこの時に生まれたのかもしれません。
かすかだけど
聞こえてくる
誰の胸にも
少年の歌は
何か変わりそうで
眠れない夜
君の胸は明日
張りさけるだろう
あきらめるなんて
死ぬまでないから」
と、今の私が福祉を目指すきっかけは
高校3年の秋だったんですねー(^^)
読んでいただきありがとうございました♪