NPO法人代表の"未来は僕らの手の中"

"音楽×福祉"NPO法人の代表が日々のあれこれを日記みたいにゆるーく書いていくブログです。

ハスキー

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「将棋の駒じゃなくて将棋指しになれ」

社長によく言われた言葉…。

 私が事業を始めるきかっけになった方で、おそらく初めて身近で尊敬できた人です。

今の事業を始める時、真っ先に報告に行ったくらいですから。

 

【目次】

 

畏怖

いよいよ社長に会う日。

社長というフレーズにとてつもないプレッシャーを感じました。私の中で社長という言葉から連想される像は、「いかつい、気難しい、えらそう、葉巻、金持ち」でした。

「どんな人やろう?」と想像しながら家から歩いていきましたが、どんどんイメージだけが膨らんでいた気がします。

本社事務所は、デイサービスがある場所よりもう少し六甲道駅に近くJRの高架下にありました。冬はいつも”六甲おろし”がビュービュー吹いていました。

小心者の私は、道中にあるジャパン(ディスカウントショップ)で一服して緊張を和らげんとしてました…。

そこを過ぎるともうすぐそこに会社の看板が!!緊張マックスです💦

母体である義歯制作の会社があり、その隣にある同社の訪問介護・看護ステーション、ケアマネ事務所の隣にある本社へ…。

ドアを開けると新しい建物特有のクロスや床のにおいがしていたのを覚えています。

まずは総務の方に挨拶(この方にも退社してからもいろいろとお世話になりました)。そして社長室です。

「おお、アンタか。よっしゃよっしゃ、よう来てくれたな。まぁ、楽にしなはれ。タバコ吸わんのか?」

さすがに吸えるはずがありませんでしたが…。

いかつくもなく、気難しい感じでもなく、えらそうでもなく、葉巻でもなく(フィリップモリスだったような記憶が…)、でもオーラというか、生気というか、本能的に空気の違いを感じました。昔、三国志か何かの漫画で読んだ「畏怖」ってこんな感じか??と。

 まずは会社の歴史となぜ介護の仕事を立ち上げたのかを教えていただきました。

先に書いた「六甲歯研」という入歯を作る会社を30年前に立ち上げ、その部門では全国2位の上場企業にまで発展されていたそうです。

で、1995年の阪神大震災の時に入歯がなくて食べ物が食べれない高齢者をたくさん見たことがきっかけで、何とかしたい、地域に貢献したいという思いで50歳を越えて介護の専門学校に入り、グループホーム、デイサービス、訪問介護訪問看護、居宅介護と拡大していったそうです。会社の歴史と社長の情熱と明確な目標、そして事業の意義。

何より自ら学校に行くというのがパワフルな人やなって感じがして、「やりたいことはいくつになってもできる❕」というのを証明されてることに、「すげー!」とワクワクしました。

 

手は"相鳴る"

社長が、いきなり両手をパンっと鳴らし

「今どっちの手が鳴ったと思う?」

「???」「左….ですかね?」

どっちもや。手は片方だけやったら鳴らんのや。"相鳴る"。両手が合わさって初めて鳴るっちゅーこっちゃ。これを"同時"と言う。片方が自分で片方が相手やな。つまり、どれだけ立派な理想を掲げても、相手が望んでないとこでいくら手を振っても意味がないんや。どうも今の福祉はそれを分からずにやっとるモンが多い。相手、お客さんが何を求めとるんか考えんとするから、おかしなことになっとる。」

経営でいうとこのマーケティングってとこですかね。

たしかに思い返せば、福祉の現場ってどこかしら「してあげてる」感が否めないなぁと。

で、したことに対して「ありがとう」と言われちゃうと、「自分のしていることは正しい、正解だったんや!」と。

感謝されているという思い込みが発生し、「もっとよくしてあげよう!」みたいな変な正義感??けっして、間違ってはないんですが、「それ、本当に相手はしてほしいと思ってるん??」と思ってしまうような、どこか介護をしている人の自己満足を満たすところが大きいと思います。

それに、”ありがとう”って言葉は2種類あるんじゃないかと。

ひとつは純粋に感謝したとき(需要と供給が一致し双方満足=WIN WIN)に自然に出ますよね。しかし、「これ以上されたら困る、もういい、もうやめてほしい」と思う時、やんわり断りたいときにもやっぱり「ありがとう」って言いませんか??いわゆるありがた迷惑。

なので、私はたまに他の人同士の関わり見てて、「今のありがとうはどっちやろ?」と考える時があります(笑)。

それに気付かず自分の良かれと思う価値観を相手に求め、それを受け容れてもらえなかったら「あの人、苦手やわ」とか「あの人は難しい人やわ」みたいに勝手にレッテルを貼る。

そのあたりが福祉職の人に多い自己満足ってとこかなと。

学生時代の実習で言われた理想と現実のギャップってやつ(→以前の記事「夏の朝にキャッチボールを」参照(笑))。

なので社長の言葉はスッと腑に落ちました。

よく考えれば「そうやんな」ってことのはずが、新鮮だったのです。

お風呂の入れ方、トイレの介助の仕方、食事の介助の仕方、ベッドメイキングをどーたらこーたらよりも、大切な、もっと深い部分というか核の部分というか仕事以前のことというか。

 

これはあくまで個人的な意見ですが、福祉って全体的にちょっとズレた価値観みたいな、村っぽいトコがあると思います。それがプライドだと言われればそれまでかもしれませんが、なんか頭硬いし視野が狭い。社会と交わりたいのか、そうじゃないのか、みたいな。

特にこの会社で身に染みついたのは来客対応と電話対応。よほどの状況でない限り、これは最優先事項でした。最初は深い意味も分からず言われるままにしてたとこありましたが、社長の人財育成を聞いているうちに、少しずつその大切さの意味を知るようになりました。

電話かける側、訪れる側になってそれを意識

してみたら一目瞭然✨

これは後のケアマネ時代に最も感じ、今でもたまに出くわすのですが、事業所さんに行っても、こっちが声かけるまで知らん顔とか、愛想のない仏頂面で、さも「どちらさん?何か用あんの?」と言わんばかりの対応されたり…。電話かけても微妙な返答されたり。たとえば、ご飯屋さんとか数多のサービス業さんに電話かけたらどうですか?

おそらく、たいていの場合、最初に「お電話ありがとうございます、◯◯です」って言われませんか?たった一本の電話と、最初の対応でイメージできちゃいますし、繋がるかもしれなかった縁を逃すことにもなるでしょう。

まぁ、仕事としては最悪ですよね。

でも残念ながら、電話対応できない人が多いのです、福祉の現場は💦

そーゆー意識持ってる福祉職は少ないと思うし、自分もそうだったかもしれない。だから、今でも電話の第一声は大事にするし、ウチのスタッフさんにも最初に"ありがとうございます"は言うようにしてもらってます。

最初は形からでも、続けると習慣になり、習慣になると"自分のできること"にも変えられる。

とにかく、この会社「株式会社 神戸介護ケアウイング」での経験は私にとってめちゃくちゃターニングポイントになったんです(^^)

 

もともと、”福祉の仕事とはこうだ”みたいな変な固定概念には違和感があったので、22歳の私には新鮮そのもの❕もっといろいろ学びたいと思いました。

社長は続けます。

わしはな、介護技術云々は教えれられん。そんなんはあんたらのほうがよう分かっとるやろう。それよりも、まず人としてどうあるかや。求められとるのは感動できるサービスや。そのために、うちは人財育成に力を入れとる。”人材”、これはふつうのことやな。あんたらはまだここやろう。自分を磨いていったらいつか"人財"にならんとあかんわけや。なったらあかんのは"人在"。これは、自分のすることせんと、ただおるだけの人間や。一番あかんのは、"人罪"。これは言わんでも分かるな。人や仲間の足を引っ張る人間や。あんたらは、これから人財を目指さなあかんぞ。どうや?今までこんな話聞いたことないやろ?こういうことを教えるのがワシの人材育成や。いつまでも将棋の駒やったらあかんのや。将棋差しにならなな。

面接もまだなのに、もう、ここで働くことをイメージしてワクワクしてました。 

その時は、まさか自分が事業をするなんてこれっぽちも考えていませんでしたが。

ここから数年後の話になるのですが、とある研修で、人生には誕生日が3つあると聞きました。

①この世に生を受けた日

②恩師に出会った日

③天命(やりたいこと、やるべきこと)に出会った日

 

まさに、その②がこの日だったと思っています。冒頭でも言いましたが、おこがましいながら私の最初の恩師かと思ってます、今でも。

ちなみに③は現在進行形で模索中です(^^)

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その頃、まだまだクソがつく恥ずかしいガキんちょな私

 

後ろ髪、新たなスタート

その日を境に、新しい扉が開いたような気分になっていましたが、まだ残ってることが。

そう、その時働いていた職場の退職です。状況的にも不安定で、自分はリーダーであり、なおかつ人手に余裕があったわけではなかったので、辞めるという話を切り出すタイミングが💦

何より、共に働き今必死になって現場を守ろうとしてくれている仲間達を裏切るような行為をしてるんじゃないかという気持ちもあったからです。

事務的な手続きを考えると、直属の上司には伝えました。もちろん、何度も説得されましたが、もう自分の中では確定事項だったのでそれで気持ちが変わることはありませんでした。ようやく認めてもらいましたが、「現場が混乱するからこっちが言うまでスタッフには言わんといてくれへんか。」と。最後のシフトを作り終えた段階でも、まだ誰にも言えなかったのです。自分のいなくなってからのことをミーティングで話すわけです、平然とした顔で。ちょうど、1月だったので、節分かひな祭りかの行事を考えてたはずです。

ある日、いつも割とよく叱ってくれる姉御肌のスタッフさんに

「○○さんがいるとこに行くんやてね。ヘッドハンティングってやつ?すごいな、やったやん。出世やな。この状況分かっときながらよく行けるな。まぁ、去る場所のことは考えずに、せいぜい仲よくお仕事してくださいね。」と、絶対怒ってる時の顔で言われました。カチンときて言い返そうと思いましたが、「そら腹立つわなぁ」とも思ったし、ストレートに本音をちゃんと言ってくれたのが嬉しかったのもあるのでお口チャック(^^)

辞める前日にわだかまりは溶けましたが(^^)

そして、他のスタッフに変な形で一気に噂が広がったわけです。

 でも、一番仲良くて、一緒にがんばってサポートしてくれてた人達は、それも知ってるはずなのに私の前ではいつものようにふるまってくれてました。ありがたさと申し訳なさが行き来してる日々💦

それでも、まだ施設側からは言わないでくれというので、そんなギリギリで言われたら現場は対処できないでしょうと伝え、最後になる職員会議の場でいきなり発表されるという。その場の空気は重かったですよ~。なんせ、退職する一週間くらい前…。もっと、パーっとした感じで終わるモンだと思ってたのですが、そうはいきませんね。

それからは覚えてないですね(^^)何を考えて仕事してたのか。

そして、3年お世話になった入居者のみなさんにも別れは言えず、最終日は一人ひとりの部屋に行きいつものように話をして「また明日。」と最後に嘘をついて終わるという。

自分の中ではいい加減な気持ちで、イヤになったから「はい、さいなら」というわけはなかったのですが、辞めるってこういうことかぁってのを知りました。みんなこんな感じで辞めてったんかなぁとか。

今思うと、「青春ドラマか漫画でありそうなシーンか!」って感じでしたね。

特にオープニングから一緒だった仲間にちゃんとした形で自分から話をしなかったのは今でも後悔してます…。

若かったですね、私も(^^)

それでも、その時の自分にとってはチャンスだと思っていたので、もう次に向けて走るしかないと。

"会うは別れのはじめ"と言います。どんなことも、始まりがあれば終わりがあるんですよね。

でも、中途半端なことはできないですし、ここで得たものを最大限に発揮して自分が今より成長することが、辞めた者に課された使命かなと、カッコよくいえば✨

その時は、訳の分からん可能性に満ち溢れてたのか、もう、体がブワーッて感じでした。

ちなみに、退職した翌日から新しい場所で働くことになるのです。

 

まるでデジャヴのように

なつかしい映画のように

スローモーション止まってしまう

凍りついたストップモーション

 

破壊が目的なら

情け容赦は無用

ふり返るな欲のタンク

フルスピード欲のタンク

 

枯れ葉のような船でユーレイ船に会った

そしてもう戻らない、もう二度と戻らない

うたおうハスキーボイス

 

ロマンチックな理由で

ロマンチックな方法で

ロマンチックな結末の

ロマンチックな途中の場面

 

枯れ葉のような船でユーレイ船に会った
そしてもう戻らない、もう二度と戻らない
うたおうハスキーボイス

(ハスキー/ザ・ハイロウズ

 

さて、今回は前置き的な話が多かったわけですが、この始まりと終わりの気分が同居するこの時期はけっこう自分の中で重要な場面だったりするのでタラタラと振り返ってみました(^^)次回は、新天地のお話の前に、これまた人生の価値観が変わったタイ🇹🇭へ行ったお話にしようかなと。

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