NPO法人代表の"未来は僕らの手の中"

"音楽×福祉"NPO法人の代表が日々のあれこれを日記みたいにゆるーく書いていくブログです。

NO.1

さて、前回バンドが解散した話でしたが、今回はいよいよ次のステップに…。

時系列としては「チェンジングマン」ってタイトルの記事の最後のほうの話。転職前夜的な⁉️

 

【目次】

タイミングとスピード

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*当時乗ってたヤマハSR400。

「自分の仕事って…いったい何やろう??自分は何を目指してるんやろう?」

人によって時期は異なると思いますが、おそらくその疑問の壁にぶつかる人も多いんじゃないでしょうか?自分が描いているモノと実際に起きていることにズレが生じるというか、それに気付いてしまうというか。慣れとは怖いものです。

自分がなあなあにしてきたことが一気に逆襲してくる感じ。しかし、裏を返せば自分と向き合うチャンスでもあると思います。

ちょくちょくバイクで海に行ってボーッとしたりしてましたね(^^)

じっととどまって同じ場所で新しい何かを見出そうとするべきか、新天地で新しい可能性を探してみるべきか…。私は間違いなく後者でしたね。

昔から、絵や工作とかでも、ちょっとずつ作っては直し、作っては直しというよりは作りかけで「あ、違う」と思ったらいったん止めて、ゼロから作り直すタイプの人間でしたので…。

 以前の記事でも書いていたように、その頃は現場サイドと管理サイドとでいろんなゴタゴタが毎日あって、間違いなく施設の方向性がガラッと変わりだし、さらには現場もみんなが疑心暗鬼になっていた大変な時期でした。当時の職位であるフロアリーダーとしては「何とかしないと!」と思ってました。

 とはいうものの、社会人としての経験も知れてますし、周りの年上に比べて深みがないことは分かっていました。自分にある武器といえば若さ。ピチピチの…。

 

初期の頃の”軽くてええ加減なヤツ”のイメージも相成って、一部の人からは信用もされていなかったと思います。まぁ、それは100%自分のせいですが(^^)

こんな22歳の小僧が施設の考え方に対して現場の声や何やと上司に意見してみたところで、詰めも甘いわけですから、きっと何の説得力もなかったでしょう。「ほとぼりが冷めたら黙るやろう」と思われていたのかもしれません、悔しかったですけどね。

 で、福祉の仕事というものをあらためていろいろと考えてみるわけですが、そもそも、福祉の現場といっても、実習先の施設と、働いている施設しか知らないので。恥かしながら”介護保険”のしくみや意味すらよく分かってませんでしたし。

社会福祉法人・高齢者の入所施設・特別養護老人ホーム”というキーワード以外のことを言われても、「たぶん」という曖昧な言葉でしか処理できないという。施設介護が全てくらいにしか思ってませんでした。

仕事仲間や専門学校の同期と遊んでる時に相談してみたら、みんな自分よりいろんなことを知ってたし、ちゃんと考えていたのです。他の仕事をしている社会人の友達と話をしていると、みんないろいろ考えていたので焦りましたね。

「こいつら、同じように遊んでたはずやのにどういうことや…」みたいな。

たぶん、人生で初めて「勉強って大事かもしれんなぁ」と思いましたが、そういう話はいずれまた。

とにかく、いろいろ知ってそうな人や経験者に聞いて回るわけですね。

高齢者福祉でもいろんな事業があって、それぞれの施設であったりサービスにはいろんな特徴や役目があるのかということを理解し始め、「え、めっちゃいっぱいあるやん!」と楽しくなってきたんですね。「福祉の仕事の可能性まだまだあるやん!」みたいな。

本当に”井の中の蛙大海を知らず”でした。

そんなとき、同期で入職し、私の前任のリーダーと、前々任のリーダーで順に辞めていった人たちが「同じ株式会社の事業所で働いているねんで。」という話を聞きます。

「株式会社!?どういうこと??」

今よりもはるかに情報に乏しい当時で、さらに視野の狭かった私は、”会社”という言葉がめちゃめちゃ新鮮に聞こえました。

「会社ということは会社員!?まさかネクタイにスーツとか!?どんな介護や?めっちゃ気になるやんかぁ」と。

 前任のリーダーと連絡を取っていた同僚にいろいろと聞いてみました。

それと同じタイミングで、前々任のリーダーだった人から電話が入るのです。

 

「元気か?単刀直入に言うわ。今、六甲道で株式会社でグループホームとデイサービスやってるんやけど、新しい人材を探しててな。自分やったらええんちゃうかなと思って推薦したら、ウチの責任者がいっぺん会いたいって言うてんねんけど、とりあえず話だけでも聞きにこーへんか?」

まさかの話に、一瞬戸惑い、次の瞬間に「これはチャンスちゃうか!?」

一気に心が揺れ動きました。自分にとって、これ以上ないタイミングでした。あとは大切なのはスピードかもしれませんね。

この一本の電話が今後の自分の人生に大きなきっかけを与えてくれたのです。

 

直感

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*始発の新在家駅

私が住んでいたのは、JR神戸線六甲道駅阪神電車新在家駅の間でした。繁華街ではなく、マンションと一軒家がひしめく住宅街。学生さんも多い街で、飲み屋さんや美容室も徒歩圏内。さらにはスーパーマーケットが徒歩5分くらいのところに6店くらいひしめくという主婦やお年寄りには便利な地域(かも!?)。

阪神大震災以前の街並みは知らないのですが、新しいものと古いものが共存している、本当に住みやすい場所でした。特に深夜の駅前を散歩するのが好きでしたね。

そんな六甲道駅にある事業所に少しドキドキしながら見学に行くのです。

駅を出てJRの高架下沿いを東に歩いて行く。徒歩10分という距離でしたが、いつもより長く感じる道のり。なぜか、就職してからの3年半?の出来事が走馬灯のように駆け巡っていました。

到着したところは、3F建ての事務所でした。けっして広くはなく施設の広いイメージしかなかった私にはそれも新鮮でした。

中に入ると正面に入ってきたのは

「遊気三昧」と書かれた大きな文字。

これは「ゆげざんまい」と読み心のままに遊び、自然にふるまうこと」といった意味の言葉で、この事業所の理念の根本だと聞きます。私にとっても大きな影響を与える大切な言葉になりました。恥ずかしいながらその時の私は施設の理念って考えたこともなかったですし、働いていた職場の理念なんてものは覚えていませんでした。

そこは、1階がデイサービス、2階、3階がグループホーム、そして屋上で家庭菜園をしている場所でした。入ってすぐにある事務所の奥の5畳くらいの相談室に入り、統括責任者、副統括責任者(前々任のリーダー)、デイサービス相談員(前任のリーダー)、グループホームのリーダーと話をします。だいたいみんな同じような年齢でした。

 事業として3年目を迎える時期で、デイサービスは立ち上げ2年目。これからデイサービスを発展させていきたいということで、そのためにリーダー格になる人材を探しているのだと聞きました。

「自分達はまだまだ小さいけど、既存の社会福祉施設に負けない企業作りをしていくのだ。小さい事業所だからこそできること、地域に根差すということを大切にしている。福祉のベンチャー企業みたいなところだ。一緒に作っていってほしい。」

目を見たら、皆さん可能性のような感じで、キラキラしてるように見えました。同じ福祉でもこういう価値観でやるってのもあるんやなぁとワクワクしました。

目指しているものが伝わってきたし、それをしっかり持っていて…自分もそこで働いているイメージができました。

志を持って集まっている人たちなんだなと体の奥から熱くなるものを感じ、その漂っている空気感に乗ってみようと思いました。

 転職って、もちろんいろんな条件を考えると思うのですが、私にとってはそれだけで十分だったのです。自分にとっての新しい価値観、新しい景色が見えるに違いないと思いました。帰ってもう一度考えると言いましたが、内心70%は「はい」という気持ち(笑)

 

帰り際、デイサービスのリーダー(私の施設の前任のリーダーで私をリーダーに推薦してくれた人)に施設案内してもらいながら屋上の菜園のベンチで話します。

彼は私の4歳上でしたが、好きな音楽が共通しており、よくその話で盛り上がっていました。特に一緒に夜勤をするときはひたすら音楽の話してました。

そんな彼が

「今、施設が大変なんは聞いてるで。それでも、来てほしいなって思って声かけてん。オレさぁ、たくちゃん(→同期のみんなからこう呼ばれてました)と一緒にやってて、少々無茶苦茶なヤツやと思うとこはあったけど、二人で組んだら絶対おもしろいことできるって思うねん。オレは前の施設で正直もう福祉辞めようって思ったんやけどな、声かけてもらって、小さいところを展開していくってとこに惹かれたし、福祉の仕事の見方とかも変わった。だからもう一回やってみようって思えてん。今は自分たちで他の事業所にはないようなところにしていきたいねん。だからぜひ一緒にやりたい。」

と。私自身も「この人と組んだら何でもできそうな気がする」と思いました。

仕事も何でも、"何をするか"も大事ですけど、それを"誰とするか"ってのは、かなり重要だと思う。

これじゃないかと思いました。冒頭で書いた「何のために」という答えが今はこれのような気がしていましたし、誰とってのもわかりました。実際この先、けっこうこのコンビで発展していきましたからね(^^)

福祉ってぼんやりとしている部分が大きいと思う。なければ社会的に困るものでもあるから、いい加減な形でも、よほど悪いことしてなければ成り立ってしまう(と思ってしまう)。医療機関とは似て異なるものだけど、どうも同列に近いようなものを感じてしまう人も多いのではなかろうか。特に古くからある施設やデカい入所施設は、どこかであぐらをかいでいるような気がしてなりませんでした。

 

昔、実習先の人が言ってた「この仕事は資格がなくても誰でもできるし、どこにでも勤め先はあるから」という言葉。これはずっと引っかかっていましたが、大半の人がこういう考えなのかもしれない。

これは誤解を招くかもしれませんが、漠然とした「人のためになりたい」という自分の欲求ともとれる曖昧な動機でこの職に就く人も多いと思う。だから、世の中が不景気になりだすと福祉方面の求職者が増え、落ち着くと簡単に辞める。この繰り返しの結果、慢性的な人手不足になるのかなぁ。

(→これは、いずれ書きたいと思っているテーマでもあります)

 

そんなことを思いながら翌日に電話をします。

「ぜひ僕も一緒に盛り上げたいです」

そして、数日後、人生の方向性、価値観をガラッと変えて下さった恩師とも言える社長と出会うことになるのです(^^)

 

今度のがNo.1だろ

今度のがNo.1だろ

 

ただの一度さえも悲しいことに

出会わない人などいないだろう

机に向かって電車に乗って

とても平凡だとブツブツ言いながら

 

今までいくつかの悲しいことを

解決しながら乗り越えてきたから

今一つここで、はっきりとここで

確信を持って、大きな声で

 

今度のがNo.1だろ
今度のがNo.1だろ

 

世界は二つ、宇宙は二つ

大きな壁でまっぷたつ

何かと何か、誰かと誰か

扉のない壁でまっぷたつ

 

人間らしくありたいだなんて

それは人間のセリフじゃないだろ

僕らしくなくても僕は僕なんだ

君らしくなくても君は君なんだ

 

今度のがNo.1だろ
今度のがNo.1だろ

 

  (No.1/ザ・ハイロウズ

 

今回もありがとうございました😊

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